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量子生命・医学部門

分子イメージング診断・治療研究 インタビュー (吉井幸恵 上席研究員)

掲載日:2021年1月29日更新
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治療とイメージングを両立する​、国内初 放射性治療薬「64Cu-ATSM」の実用化に向けて​悪性脳腫瘍で第1相臨床試験を進行中

悪性脳腫瘍は、手術後の再発率の高い難治がんです。QSTで開発が進められてきた放射性治療薬「64Cu-ATSM」は、悪性脳腫瘍の新たな治療薬となることが期待され、現在、国立がん研究センターと神奈川県立がんセンターで第1相臨床試験が行われています。実用化されれば日本で生まれた初の放射性治療薬となる64Cu-ATSMを、約10年にわたり研究してきた吉井幸恵に、その特徴や実用化に向けた取り組みについて聞きました。​

インタービューに応じる吉井上席研究員

吉井幸恵(放医研 分子イメージング診断治療研究部 核医学基礎研究グループ 上席研究員)

日本で初めての国産の放射性治療薬「64Cu-ATSM」とは、どのような薬でしょうか。

​現在、がん治療では、手術、抗がん剤、放射線療法が標準治療となっています。しかし標準治療では治らない難治がんがあります。こうしたがんには、細胞増殖が非常に活発で血管ができるのが追い付かないため血液が行き届かず、低酸素化しているという特徴があります。

このため難治がんには血管を通して送られる抗がん剤が届きにくい。また、体外からがんに放射線を照射して、そのエネルギーで酸素から活性酸素を発生させてがんを殺傷する放射線療法も、低酸素の難治がんでは治療効果が得られにくいのです。

これに対して、銅の放射性同位体である64CuをATSMという構造ではさみこんだ「64Cu-ATSM」は、低分子でかつ細胞に馴染みやすい親油的な性質から、血管が通っていないがん細胞にも浸透していきます(図1)。がん細胞に届くと、ATSMから 64Cuが外れてがんに蓄積。この64Cuが出す放射線ががん細胞のDNAを切断するので、低酸素化した難治がんの治療が可能になります。

64Cu-ATSMの治療メカニズム

図1:日本発放射性治療薬「64Cu-ATSM」の治療メカニズム

64Cu-ATSM」は、64CuがATSMに配位した薬である。薬は低分子で親油性であるため、血管がなく低酸素化したがん細胞にまで浸透する(左上グラフ)。低酸素状態では64Cuが外れてがん細胞に蓄積。β線とオージェ電子の働きにより、がん細胞内の2本鎖DNAを切断。高い治療効果を発揮する。

64Cu-ATSMはβ線という放射線を利用していることから「放射性治療薬」と呼ばれます。放射性治療薬はすでに使われていますが、いずれも海外で製造されたものです。64Cu-ATSMが実用化されれば、日本で初めて開発・製造された放射性治療薬になります。

さらに、64Cu-ATSMにはβ線に加えてオージェ電子を放出するという大きな特徴があります。この電子はエネルギーが高く、がん細胞の2本鎖DNAを2本とも切るので、DNAの修復が起きにくく高い治療効果が得られます。オージェ電子のエネルギーは強力でも近傍にしか届かないので、正常細胞への影響は心配ありません。

64Cu-ATSMでは、がんを可視化(イメージング)することもできるそうですね​。

この薬はそもそも1997年に、難治がんを可視化するためのPET薬剤として開発されたものです。ですから、64Cu-ATSMはがんを治療しながら、同時に薬ががんに入っていく過程や、そこで作用する様子を見ることができるのです。医師の先生方には、患者さんに病状や治療の経過を説明する際に、ぜひこのイメージング画像を使って、患者さんの理解や安心につなげて欲しいと思っています。

これほど優れた治療薬の開発が、PET薬剤の実用化から20年以上遅れたのには、理由があります。64Cuでがんを治療できることは、以前から理論的にわかっていました。しかし治療薬として使うにはPET薬剤として使うよりもはるかに大量に必要になります。64Cuはサイクロトロンという大型の装置でつくる上に、放射線を出す能力が半分になるまでの時間(半減期)が約13時間と短いため、質のいい64Cuを治療に十分な量を得ることが難しかったのです。そのため誰も治療薬として使おうと考えませんでした。

その後、QSTの技術開発により、治療に十分な量の高品質な64Cuを製造することが可能になりました。また、私たちは10年ほど前から「64Cu-ATSM」を治療薬として使うための用法用量、安全性などの検討を細胞や動物を使って実施してきました。​

現在は、人の悪性脳腫瘍で第1相臨床試験(治験)が進んでいますね。​

先ほど、この薬は親油的な性質からがん細胞に浸透しやすいと話しましたが、この性質によって製剤化しにくいという問題がありました。これを乗り越え、2018年から国立がん研究センターと、2019年には神奈川県立がんセンターも加わって、難治がんである悪性脳腫瘍の患者さんでの安全性を調べる第1相臨床研究をしています。

本治験では、QSTで「64Cu-ATSM」治験薬を製造し、病院(国立がん研究センターと神奈川県立がんセンター)に提供しています。まず、サイクロトロンで64Cuをつくって精製します(図2)。次にATSMなどと混ぜ合わせて製剤化。できたものが治療に使えるか品質チェックを行いながら、同時に梱包して病院に発送します。品質に問題がなければ、患者さんに投与します。一連の薬づくりは遮蔽環境の中で行い、被爆しないよう細心の注意を払わなくてはなりません。

64Cu-ATSM治験薬の製造工程

図2:初の国産放射性治療薬の製造に向けたQSTの取り組み

サイクロトロンでの高濃度64Cuの製造と安定高品質な薬剤製造を行う体制を構築した。さらに、薬の品質保証管理や信頼性保証の体制を整え、高品質な治験薬を患者さんに提供できるようにした。

実用化に向け、今後は何をしていくのでしょうか。​

実用化に向け大量にお薬をつくれる量産体制を整えたいと考えています。そのための自動合成装置の開発を装置メーカーの協力を得ながら進めています。

私は生物学者なので、がんに限らず、生命現象を知ることで人類を少しでも幸せにしたいと思ってこれまで研究してきました。しかし、実際に人の役に立つまで至れず、長い間、雲の中にいるような感覚でした。治験が始まり、私がQSTの仲間たちと取り組んできた研究の成果が実用化して社会に貢献できそうだと実感できるようになりました。それでも実用化までには、まだ多くの課題を解決しなければなりません。幸いにも、本プロジェクトに関し、2020年10月に科学技術振興機構(JST)の研究成果展開事業 大学発新産業創出プログラム(START)に採択され、支援を受けられることになりました。こうして実用化に向けて一歩一歩進みながら、今後とも仲間と協力しプロジェクトを前進させ、QSTの技術を社会に役立てたいと考えています。​

インタービューに応じる吉井上席研究員

*所属・役職はインタビュー当時(2020年11月26日)のもの