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プレスリリース

放射光を使った磁石の奥まで透ける顕微鏡―X線発光の新原理を用い開発に成功―

掲載日:2022年1月25日更新
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ポイント

  • ​放射光を利用し、磁石などの磁性材料の磁区構造を奥深くまで観察できる顕微鏡を世界で初めて構築
  • X線の高透過能を活用した動作原理により、従来の10倍以上の観測深さを実現
  • モーターや変圧器などに広く用いられる電磁鋼板の設計に活用することで大きな省エネルギー化が見込まれ、高効率モーターの実現による自動車電動化の推進などに貢献できると期待

 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(以下「量研」、理事長、平野俊夫)量子ビーム科学部門関西光科学研究所の菅原健人技術員、稲見俊哉上席研究員、JFEテクノリサーチ株式会社(代表取締役、松岡才二)西日本ソリューション本部の中田崇寛主査、機能材料ソリューション本部の阪口友唯主査、高橋真主査は、X線の新しい磁気光学効果1)「X線磁気円偏光発光2)」を導入することにより、磁性体深部にある磁区3)の大きさ、向きの詳細な分布の観察できる、磁気顕微鏡の構築に世界で初めて成功しました。モーターや変圧器の省エネルギー化に必須となる電磁鋼板の性能向上に貢献できます。

 磁石などの磁性材料は私たちの生活のいろいろな場所で活用されています。電磁鋼板もその一つで、モーターや発電機、変圧器などに広く用いられていますが、これらの電力–動力、電力–電力変換の際には磁性材料の中に形成された磁区(小さな磁石が同じ向きを向いて集団となっている領域)が動くことによりエネルギーの損失が生じます。その損失は、日本全体で見ると一般的な家庭およそ600万軒分の電力消費量にも相当すると推計されています。従って、より損失の小さな磁区構造を持った電磁鋼板が開発できれば、大きな省エネルギー効果を生み出すことになります。

 電磁鋼板のエネルギー損失には磁区の分布が深く関わっており、表面から内部に渡って形成された鋼板全体の磁区構造を知ることが重要になります。しかし、これまでの磁区を観察するための顕微鏡は200~300マイクロメートルの厚さがある電磁鋼板の表面1マイクロメートル程度までの深さしか観察することができず、鋼板全体の磁区構造は他の研究から想像するにとどまっていました。このような状況のもと、本研究グループは、その一員である稲見上席研究員が平成29年に発見したX線磁気円偏光発光を利用し、X線の高透過能によってこれまでの磁気顕微鏡より一桁以上の深さ、およそ数十マイクロメートルの奥深くまで透けて観測することができる磁気顕微鏡を大型放射光施設SPring-84)の量研専用ビームラインBL11XUに構築し、電磁鋼板の磁区観察に成功しました。エネルギー損失の鍵となる中の領域にまで磁区構造の観測が届くようになったことで、電磁鋼板の低損失化への大きな一歩を踏み出すことになります。

 今後は、より深い領域の観察、深さ分解測定、測定の高速化により、中まで含めた磁性材料の磁区構造を三次元的に観察する手法の開発に取り組む計画です。これにより、例えば、電磁鋼板の低エネルギー損失化を達成し、大きな省エネルギー効果、あるいは、高効率モーターの実現や自動車電動化の推進など、私達の将来に直結した貢献が見込まれます。

 本成果は、米国物理学協会Journal of Applied Physics 誌のオンライン版に掲載されました。

URL: https://aip.scitation.org/doi/10.1063/5.0058201

 背景

 私たちの生活を支える電気。その電気を利用するための様々な装置、例えば、電気をつくり出す発電機、つくり出した電気を工場や家庭で使えるようにする変圧器、電気を動力として使うモーター。これらの装置には電磁鋼板と呼ばれる磁性材料が使われています。これらの装置を動かすとき、電磁鋼板の中でエネルギーの損失5)が生じています。世の中には電磁鋼板が使用されている装置が莫大な数あるため、日本全体でみると一般的な家庭の600万軒分、年間の電気代9000億円近くに相当すると推計されています。このため、電磁鋼板のエネルギー損失低減は、磁性材料開発の重要な課題となっています。

 電磁鋼板で起きるエネルギー損失は、電磁鋼板を作るときにその内部にできる磁区(小さな磁石が同じ向きを向いて集団となっている領域)が動くことが原因だということが分かっています。そして、どういう磁区構造であればこれを防ぐことができるかの理解も進み、狙った磁区構造を持つ電磁鋼板を作る試みも行われています。ですが、作った電磁鋼板の中に狙い通りの磁区構造が形成されているか観察する手段がないため、目隠しをしたままで性能を調べるような状況が続いていました。これまでにも電磁鋼板の磁区構造を観察する顕微鏡6)が考案されてきましたが、厚さが200 ~ 300マイクロメートル(0.2~0.3 mm)ある鋼板のごく表面の1マイクロメートル(0.001 mm)程度の深さまでしか観察できず、そのわずかな手がかりから鋼板の奥深くの磁区構造を推測するしかありませんでした。

開発する磁気顕微鏡の性能目標

 このような状況を打破するには、観察深度の大きな磁気顕微鏡の開発が求められます。観察深度が現在の顕微鏡の1マイクロメートルから1桁増えて10マイクロメートルとなれば、大きなブレークスルーとなります。また、磁区観察には空間分解能として10マイクロメートルで1 mm角程度の領域を測る必要があります。本研究では実用的な利用を念頭に、10マイクロメートルの空間分解能、10マイクロメートル程度の観察深度を持ち、1試料(1 mm角程度の範囲)の観察時間が1日以内を実現する顕微鏡の開発を目指しました。

性能目標を達成するためのアイデアと課題の克服

 従来の磁気顕微鏡では、試料に対するプローブの透過能が不十分であるという観測深度の原理的な限界があります。従って、観察深度を劇的に大きくするには、新しい動作原理に基づく磁気顕微鏡を考えなければなりません。高い透過能に加えて、目標とする時間内で観察を完了するために磁区に対して十分な感度があることも必要です。その鍵は、本研究グループの稲見上席研究員が平成29年に見出したX線の磁気光学効果「(X線磁気円偏光発光)」です。このX線磁気円偏光発光は、エネルギーが高く透過力を持った硬X線7)の磁気光学効果であるため、従来の磁気顕微鏡に比べ、大きな観測深度が期待できます。また、以前から知られていた硬X線の磁気光学効果(磁気円二色性8))と比べてX線磁気円偏光発光は約60倍の感度があり、高感度、高効率な測定も可能です。

 開発を目指す顕微鏡は、観察する範囲を細かなメッシュに切り、メッシュ一つずつの情報を集める走査型顕微鏡です。カメラであればメッシュの数に関係なく1回のシャッターで撮影域を記録できますが、走査型の顕微鏡ではメッシュの数だけ繰り返して測定しなければなりません。観察する際のメッシュ(空間分解能)を磁区の観察に十分なサイズまで細かくした上で、様々な試料を観察するのに実用的な観察時間(1日以内)を達成するには、高感度のX線磁気円偏光発光を利用するとはいえ「1メッシュあたりの観察時間を短くする」ことが課題となります。

 この課題を克服するために、試料からあらゆる方向に放出される発光X線をできるだけ多く取り込み観察に使う信号の強度を高めたいのですが、もともと方向がそろっていない発光X線は、磁化の向きを決めるのに必要となる円偏光度の測定装置と相入れません。方向がそろった発光X線だけを切り出して測定する方法もありますが、観察時間が目標よりも何桁も長くなってしまいます。ここで私たちは「平行化ミラー」に着目しました。平行光線がレンズを通って一点で集光する光路を逆に辿るかの如く、試料上の小さな領域から広がって放出された発光X線を、平行化ミラーで反射させることで、進行方向がよくそろったX線にすることができ、多くの発光X線を取り込み、かつ、円偏光度の測定が可能となります。

開発した装置とその性能評価

 開発した磁気顕微鏡は、大型放射光施設SPring-8のQST極限量子ダイナミクスIビームライン(BL11XU)に設置しました。その磁気顕微鏡の構成を図1に示します。

開発したX線磁気円偏光発光磁気顕微鏡の構成図。

図1: 開発したX線磁気円偏光発光磁気顕微鏡の構成図。

 X線磁気円偏光発光を測定する磁気顕微鏡の有用性を実証するために、電磁鋼板を構成する主元素で、磁性を担う鉄原子が出す発光X線の測定をターゲットとした顕微鏡を設計しました。

 これまでの磁気顕微鏡よりも1桁大きな観測深度を得るために、試料の深部から取り出すことができるX線磁気円偏光発光を観察します。SPring-8からの取り出す放射光X線のエネルギー高く設定して試料に照射することで、10マイクロメートルよりも十分深くまで到達させます。また、性能目標とした空間分解能が得られるように、照射X線は10マイクロメートルの大きさまで集光します。照射X線への応答として鉄原子から発光するX線を観測しますが、表面から10マイクロメートル程度の深さまでにある鉄原子からのX線が試料の外にまで透過して出てくる大部分を占め、観測されることになります。発光X線の高い透過能によって、これまでの磁気顕微鏡よりも1桁大きな観測深度が得られるわけです。

 得られた発光X線は、平行化ミラーで反射後、円偏光を直線偏光に変換する移相子、および、エネルギーと直線偏光度を調べるゲルマニウム単結晶から成る円偏光度測定装置に取り込まれます。円偏光度を調べることで磁化の向きと大きさを決定します。性能目標に掲げた測定範囲と空間分解能、例えば1mm角の範囲を10マイクロメートルのメッシュで切ると10000点の測定となり、1日で測定を終えるには1メッシュあたり数秒以下での測定が必要になります。平行化ミラーの導入によって1メッシュあたりの6-8秒で磁化の方向と大きさを決定できるようになり、1試料1日以内の測定が可能になりました。

 こうして目標とした空間分解能と観察深さ(いずれも10マイクロメートル)を達成した磁気顕微鏡を用い、実際に電磁鋼板の磁区観察を行いました。図1の試料の位置においた電磁鋼板を縦横10マイクロメートルのピッチで動かし、各位置の磁化の向きと大きさを測定します。その結果得られた磁区マップを図2に示します。この電磁鋼板では、圧延方向(図2の横方向)に平行なストライプ状の磁区構造を有し、さらに破線の四角で囲んだ位置にクサビ形の磁区も存在していることが明瞭に観測されています。また、電磁鋼板の表面には約3マイクロメートルの絶縁皮膜が施されていますが、高透過能のX線は表面の絶縁皮膜を物ともせず、皮膜を剥がさずに測定ができています。図2の磁区構造マップを得るのに必要とした測定時間は約19時間であり、目標として掲げた全ての性能を満たす磁気顕微鏡を実現することができました。

開発したX線磁気円偏光発光磁気顕微鏡で測定した電磁鋼板の磁区構造。

 

 

図2: 開発したX線磁気円偏光発光磁気顕微鏡で測定した電磁鋼板の磁区構造。板に垂直方向から見た磁区構造のマップで、数値は板上のメッシュの位置(単位はmm)に対応します。それぞれの位置での色が磁化を表しており、赤は磁化が右向きで青は左向きの磁区、色が濃いほど磁化が大きいことを意味しています。

 

 

今後の展開

 本研究により、これまで表面の磁区観察や他の研究手法からの想像にとどまっていた電磁鋼板のエネルギー損失の鍵となる深いところにまで観測が届くようになったわけです。従来の方法での観測と比較することで、表面と内部の磁区が同じかどうかの判別も可能になります。電磁鋼板の高性能化にはエネルギー損失の小さな磁区構造を得ることが必要ですが、損失の鍵となる領域の磁区を実際に観察しながら開発できるようになったことで性能改善に向けた開発が大いに加速されます。これにより発電機・変圧器での大きな省エネルギー効果や高性能モーターによる電動輸送機関の推進により低炭素社会実現に貢献できます。

 X線磁気円偏光発光を利用した顕微鏡はさらなる発展の可能性を秘めています。より高いエネルギーのX線を照射することで、微弱ではあるもののさらに深い領域からの発光が含まれるようになり、深さ分解技術によって深い領域の発光を抽出できれば、観察深さをさらに大きくすることができます。例えば、26 keVのX線を用いれば40マイクロメートル程度の深さまで到達することが期待できます。また、今回は深さ方向を積算した2次元での磁区観察でしたが、3次元的な磁区像を得るためにも深さ分解の技術は重要です。2次元のレントゲン写真が3次元のCT画像になったのと同様の発展を磁区観察でも起こすべく、今後の研究開発を推進していきます。

共同研究者

量子科学技術研究開発機構
量子ビーム科学部門 関西光科学研究所  
  技術員        菅原 健人(すがわら・けんと)
  上席研究員        稲見 俊哉(いなみ・としや)

JFEテクノリサーチ株式会社
西日本ソリューション本部
  主査          中田 崇寛(なかだ・たかひろ)

機能材料ソリューション本部
      主査                阪口 友唯(さかぐち・ゆい)
      主査          高橋  真(たかはし・しん)

研究支援

 本研究は、科研費若手研究「新しい磁気光学効果の受光光学系自動最適化手法の開発」、基盤研究(B)「磁性体内部の磁区を観察する磁気顕微鏡の開発」による支援を受けて行われました。

用語解説

1)磁気光学効果

 可視光やX線などの光は波の性質を持ち、その波の振れ方に関する偏光という性質を備えています。磁気光学効果とは、光の偏光状態が透過や反射といった過程を通して物質の磁気的状態に応じて変化する現象で、ファラデー効果や磁気光学カー効果などが知られています。音楽記録用に使われたMDなどの光磁気ディスクでは、読み出しに磁気光学カー効果が利用されています。

2)X線磁気円偏光発光

 光が進行する際、振れ方がらせんを描くような偏光を円偏光と呼びます。X線磁気円偏光発光はX線を照射した際に磁性体から出てくる発光X線がらせんを描きながら振動するような円偏光の成分を含んでいるという現象で、らせんの回転方向が磁性体の磁化の向きに応じて変化するというものです。

3)磁区

 磁性体の中で磁化の向きと大きさがそろった領域のことを磁区と呼びます。磁性体は常に全体が一様に磁化しているわけはなく、複数の磁区が集まって構成されています。

4)大型放射光施設SPring-8

 兵庫県の播磨科学公園都市にある研究施設です。光速近くまで加速した電子がリングを周回し、磁石により電子の軌道が曲がる際に発生する強力なX線(放射光)を利用し、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。

​​5)電磁鋼板でのエネルギー損失

 JFE21世紀財団鉄鋼プロセス工学入門、1章
http://www.jfe-21st-cf.or.jp/jpn/chapter_1/1d_2.html
一般的な家庭の年間消費電力量を5000キロワット時とすると、電磁鋼板でのエネルギー損失は600万軒分に相当します。

6)磁区構造を観察する顕微鏡

 磁気光学効果を利用すれば磁区構造を観察することができます。現在主流の顕微鏡として、可視光を使った磁気光学カー効果顕微鏡や、放射光軟X線を使った磁気円二色性顕微鏡などが知られています。

7)硬X線

 X線は、エネルギーが高い硬X線とエネルギーが低い軟X線に大別されます。透過力の高い硬X線は材料の奥深くや内部の観察に適しています。それに対し、物質への侵入長が短い軟X線は、材料表面や薄膜の観察に多く用いられています。

8)磁気円二色性

 円偏光はらせんを描く振動の回転方向によって右円偏光と左円偏光に区別されます。磁気円二色性は磁気光学効果の一つで、右円偏光と左円偏光で磁性体の光吸収量に差がある現象を指します。透過能の高い硬X線の磁気円二色性では吸収量の差が非常に小さいため、高感度の測定には不向きです。