発表のポイント
- スピン(注1)が交互に配列した反強磁性体(注2)のネオジム・ビスマス化合物(NdBi)における微小な磁気ドメイン(注3)の中の電子状態(電子構造)(注4)を、高輝度放射光(注5)を用いて精密に測定することに成功しました。
- NdBi表面で発現する相対論的電子「ディラック電子(注6)」の質量が、磁気ドメインのスピン配列方向によって有限になったり消失したりすることを実証しました。
- NdBiにおいて「反強磁性トポロジカル絶縁体(注7)」と呼ばれる新しい量子相が実現していることを示しました。本成果は、省エネルギー素子や量子デバイスの開発につながると期待されます。
概要
物質中で通常は見かけ上の質量(有効質量)がゼロのディラック電子は高速で動きやすく、質量を持たせることで省エネルギー素子などへの応用も期待できます。質量の発生にはこれまでの研究では永久磁石に代表される強磁性体が用いられてきましたが、漏れ磁場が生じるため集積化しにくいという課題がありました。一方、スピンが交互に配列した外部に磁場を発生しない反強磁性体でディラック電子を発生できるというアイデアが10年以上前に提案されましたが、微小領域の電子状態観測が難しいため、研究の障害になっていました。
東北大学、大阪大学、ケルン大学(ドイツ)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)、量子科学技術研究開発機構、分子科学研究所などの共同研究グループは、10マイクロメートル(μm)に集光した放射光を用いて、これまで困難であった反強磁性体の磁気ドメイン領域内のディラック電子の直接観測に世界で初めて成功しました。
研究グループはNdBi結晶の反強磁性状態において、マイクロ集光角度分解光電子分光(注8) (マイクロARPES(注9))という手法によって磁気ドメイン内の電子を精密に観測しました。その結果、NdBi表面のディラック電子が、スピンの配列方向によって巨大な質量を持つ場合と全く質量を持たない場合があることを明らかにしました。この成果は、反強磁性トポロジカル絶縁体という新しい物質相を実証しただけでなく、巨大な電磁気応答や量子伝導現象を用いた省エネルギー素子や量子デバイスへの応用につながるものです。
本研究成果は2023年11月17日(現地時間)、科学誌Nature Communicationsに掲載されました。
研究開発の背景
固体には、金属、絶縁体、半導体、超伝導体といった状態が存在しますが、近年、これらの分類に属さない「トポロジカル絶縁体(注7)」と呼ばれる新しい物質が発見されました。この物質の特徴は、表面を運動する電子が「ディラック電子」と呼ばれる質量のない粒子のような特殊な状態になる点です(図1)。興味深いことに、このディラック電子に意図的に“質量”を持たせると、半導体のようなギャップが形成されて、磁場を必要としない量子ホール効果(注10)や、電気的性質と磁気的性質を相互変換する巨大電気磁気効果(注11)など、トポロジカル絶縁体に特有の量子物性を引き出すことができます。これらの性質は、スピンを用いた省エネルギー素子や高感度の電磁場センサー、トポロジカル量子デバイスの開発に役立つと期待されています。ディラック電子に質量を持たせるには、スピンが同じ向きで整列した強磁性的な内部磁場をディラック電子の周りに生成することが唯一の方法で、実際にこれが可能な物質の種類は限られてきました。また、この方法では有限の磁化による漏れ磁場のために、トポロジカル絶縁体を用いた素子の集積化が困難ではないかという懸念もありました。
この状況下で、スピンが交互に配列する反強磁性体でもディラック電子が発現する物質として「反強磁性トポロジカル絶縁体」が2010年に理論的に提案され注目されていました(図1)。この物質のディラック電子はスピンが配列する方向によって質量が変調します。すなわち、スピンが整列した表面では有限の質量が発生し、一方でスピンが交互に揃う表面では質量がゼロとなります。しかしながら、一般的に反強磁性体ではスピンの配列方向が物質全体に一定に広がるよりも、数10 μm程度の大きさの磁気ドメインが、様々な方向を向いて凝集した方がエネルギー的に安定です。同一の結晶表面において質量のあるディラック電子が質量ゼロのものと混在してしまうために、反強磁性トポロジカル絶縁体の実証は困難とされていました。
研究の内容
今回、東北大学大学院理学研究科の本間飛鳥大学院生と材料科学高等研究所(WPI-AIMR)の相馬清吾准教授、佐藤宇史教授らの研究グループは、大阪大学大学院基礎工学研究科附属スピントロニクス学術連携研究教育センター(CSRN)の山内邦彦特任研究員(常勤)、ケルン大学物理学科の安藤陽一教授らと共同で、東北大学とKEK物質構造科学研究所、量子科学技術研究開発機構のグループが共同で開発・整備した、放射光からの紫外線のスポットサイズを直径10 μm程度に絞って精密観測できるマイクロARPES装置(図2)を用いて、反強磁性体であるNdBiの電子状態を精密に観測しました。研究グループは、NdBiを反強磁性状態に冷却すると、常磁性状態において質量のないディラック電子状態に、明確なエネルギーギャップの形成、すなわち有限の質量が発生することを明らかにしました(図3)。さらに、試料の表面全体をマイクロ紫外光でくまなく走査すると、ディラック電子が有限の質量を持つ領域の他に、質量がゼロの領域も存在し、これらが空間的に分かれていることを見出しました。それぞれの領域から放出した光電子分布の対称性の違いや、第一原理計算による電子状態予測との比較から、質量の異なるディラック電子状態が、スピンの配列方向の異なる磁気ドメインに由来することも明らかにしました。この結果は、磁化を持たない反強磁性状態においても、スピンの配列方向に依存してディラック電子が有限の質量を持つことを世界で初めて示したものです。
今後の展望
本研究は、放射光を用いた先端分光を駆使して反強磁性体NdBiの微小な磁気ドメインに依存した電子状態を空間的に分割して明らかにしたものです。質量のあるディラック電子の存在を反強磁性体において確証したことで、トポロジカル物質の探索範囲が大きく拡大します。これにより、ゼロ磁場下での量子ホール効果や、巨大な電気磁気効果などの量子物性を示すトポロジカル材料の開発が進むことが期待されます。また、磁化を持たない反強磁性体は集積化に向いているだけではなく、磁気ドメインのスピンの方向によってディラック電子の質量のon/offまでも制御できるという強磁性体にはない特徴があり、これを利用した新たなデバイスの開発も期待されます。以上の展望に加え、本成果は先端計測の観点において、マイクロARPESによる磁性体の電子構造解明の有用性を示したもので、より高度なトポロジカル物質探索において次世代放射光(東北大学敷地内で量子科学技術研究開発機構(QST)と一般社団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)が共同で建設を進めている3GeV高輝度放射光施設NanoTerasu(ナノテラス))を用いたマイクロARPESが強力な威力を発揮することが期待されます。計測装置の先鋭化と整備も進んでおり、より微小な空間の電子構造、例えば磁気ドメインの間の境界や、3次元結晶のヒンジ(稜線)、微細加工したトポロジカル物質デバイスなどの電子状態を解明することで、未発見のトポロジカル物質の実証や、その応用研究が大きく進展することが期待されます。
謝辞
本成果は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域(研究総括:上田正仁)における研究課題「ナノスピンARPESによるハイブリッドトポロジカル材料創製」(JPMJCR18T1)(研究代表者:佐藤宇史)、日本学術振興会科学研究費助成金における研究課題「2次元電子スピン検出器の開発と強磁性トポロジカル物質の研究」(JP19H08145)(研究代表者:相馬清吾)などの支援を受けて行われました。
論文情報
雑誌名:Nature Communications
論文タイトル:Antiferromagnetic topological insulator with selectively gapped Dirac cones
著者:A. Honma, D. Takane, S. Souma*, K. Yamauchi, Y. Wang,K. Nakayama, K. Sugawara, M. Kitamura, K. Horiba, H. Kumigashira, K. Tanaka, T. K. Kim, C. Cacho, T. Oguchi, T. Takahashi, Yoichi Ando, and T. Sato*
*責任著者 東北大学材料科学高等研究所 准教授 相馬清吾
東北大学材料科学高等研究所 教授 佐藤宇史
DOI:10.1038/s41467-023-42782-6
URL:https://www.nature.com/articles/s41467-023-42782-6
用語解説
説明図
図1:(a)トポロジカル絶縁体、および(b)反強磁性トポロジカル絶縁体におけるディラック電子状態の模式図。質量がないときは、ディラック電子のエネルギーと運動量は比例関係になります。2次元表面の運動に対応してエネルギー状態は上下の円すい形となり頂点同士は接します。質量を持つと円すいの上下が分裂してエネルギーギャップが生じます。トポロジカル絶縁体では表面の方位によらずディラック電子の質量がゼロですが、反強磁性トポロジカル絶縁体ではスピンの揃った表面では質量が発生し、スピンが交互に配列した表面では質量が消失します。
図2:(a)マイクロARPESによるNdBiの磁気ドメインの電子状態の観測の様子を示した概念図と、(b)マイクロARPES装置の写真。高輝度紫外線を物質表面に照射して外部光電効果によって放出された光電子のエネルギーと運動量を精密に測定することで、物質の電子構造を決定できます。さらに光のスポットサイズをミクロン単位まで小さくすることで、磁気ドメイン内の局所電子構造の決定が可能になります。マイクロARPESでの観測はKEKフォトンファクトリー BL-28Aで行いました。
図3:マイクロARPESにより観測したNdBiの反強磁性状態における(a)質量を持ったディラック電子と(b)質量のないディラック電子。それぞれの観測データは、同一試料表面の異なる磁気ドメイン内のピンポイント計測により得ました。図の黄色、緑色、青色、白色の箇所は光電子の多い箇所、すなわちエネルギーバンドに対応します。点線が表面のディラック電子状態を示しています。