発表のポイント
- マウスの卵子から生きたまま脂肪滴を単離する世界初の技術を開発
- この技術を使って脂肪滴を欠損させると受精卵の発育が止まり、脂肪滴を過剰にすると正常に発育する受精卵の割合が半分になることを発見
- 本研究で開発した技術を応用して、脂肪滴の量と卵子の質や不妊との関係を明らかにすることにより、卵子や受精卵の質の科学的な評価法の開発などにつながることが期待される
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」という)量子医学・医療部門 放射線医学総合研究所 生物研究推進室の塚本智史主幹研究員と相澤竜太郎研究員らは、マウスの卵子を用いて、胚の発育には適量の脂肪滴1)が必要であることを明らかにしました。
ほ乳動物の卵子には、脂肪滴と呼ばれる中性脂肪を蓄えた細胞内小器官2)の一種が存在します。ブタやウシの卵子には多量の脂肪滴が含まれますが、ヒトやマウスの卵子に含まれる脂肪滴量はごく少量です。
量研では、受精直後に活発に起こるオートファジー3)によって脂肪滴を分解する方法を開発し、マウスの受精卵の脂肪含量を半減させると、着床する時期まで発育する受精卵の割合が半分になることを明らかにしました(2018年3月2日プレスリリース)。この結果は、受精卵の発育には脂肪が関与することを意味していますが、開発した方法では、脂肪滴を完全に分解することは出来ませんでした。
そこで研究チームは、脂肪滴を分解するのではなく、人工的に取り除く技術を開発しました。この技術を用いて、受精前の卵子から脂肪滴を取り除くと、卵子の中に直ぐに新しい脂肪滴が合成され、体外受精を行うと正常に発育することを見いだしました。さらに、卵子から脂肪滴を取り除いた後で、新たな脂肪滴の合成を阻害して脂肪滴を欠損させたところ、受精卵の胚の発育は完全に止まることを発見しました。一方、卵子から取り出した脂肪滴を、別の受精卵に導入して脂肪滴の量を過剰にすると、正常に発育する卵子の割合は半分になりました。
これらのことから、正常な胚の発育には、受精卵の中に適量の脂肪が必要であることが証明されました。今後、開発した脂肪滴を単離する技術は、ヒトとマウスに共通する脂肪滴の新たな生理機能の解明のための重要な手法になると期待されます。また、本技術を応用することで、卵子の脂肪滴の量と質の関係を明らかにすることで、生命科学研究に欠かせないモデルマウスの開発促進に役立つだけでなく、ヒトにおける卵子や受精卵の質の科学的な評価法の開発などにつながることが期待されます。
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)成育疾患克服等総合研究事業-BIRTHDAY-や文部科学省科学研究費補助金、武田科学振興財団の支援により行われ、英国科学雑誌「Development」のオンライン版に2019年11月26日(火)16:00(日本時間)に掲載されます。
研究開発の背景と目的
脂肪滴はトリアシルグリセロールなどの中性脂肪を内部に含み、その周囲をリン脂質の一重膜が取り囲んだ構造体です。脂肪滴はほぼ全ての細胞や組織に観察され、その量や大きさは様々です。顕微鏡で容易に観察できるため、ほ乳動物の卵子や受精卵にも脂肪滴が含まれることは知られていましたが、その役割は不明でした。
研究チームは、卵子や受精卵における脂肪滴の役割を調べるため、受精直後に活発に起こるオートファジーによって脂肪滴を分解する方法を開発し、マウスの受精卵の脂肪含量を半減させました。その結果、着床する時期まで発育する受精卵の割合が半分になることを明らかにしました(2018年3月2日プレスリリース)。
この結果は、受精卵の発育には脂肪が関与することを意味していますが、開発した方法では、脂肪滴を完全に分解することは出来ませんでした。
そこで今回研究チームは、脂肪滴を分解するのではなく、人工的に取り除く技術を開発することで、脂肪滴が全く含まれない卵子を用いて、より正確に脂肪滴と胚発育との関係性を調べました。
研究の内容
(1)マウスの卵子から脂肪滴を単離する技術の開発
脂肪滴を多量に含むブタやウシの卵子や受精卵では、遠心すると脂肪滴が細胞質の一箇所に集まって、これを微細なガラスの管(キャピラリー)で除去する方法が用いられています。研究チームは、この遠心をヒントにして、脂肪滴の量が少ないマウスの卵子からでも脂肪滴を取り除ける条件を丹念に調べました。
その結果、マウスの卵子50個ほどをまとめてチューブに入れて低速(4,200g)で10分間遠心すると、脂肪滴が細胞質の一箇所に集まることを見つけました(図1下段・左)。このチューブに高浸透圧の溶液を添加して、さらに高速(9,500g)で10分間遠心すると、集まった脂肪滴が高浸透圧の効果で広がった囲卵腔(いらんくう)4)に放出されることが分かりました(図1下段・中央)。放出された脂肪滴は専用のガラスキャピラリーで容易に単離でき(図1下段・右)、単離後の卵子のほとんどが生存しました。
図1 マウスの卵子から脂肪滴を単離する方法
マウスの卵子50個ほどをチューブに入れて低速で10分間遠心すると、脂肪滴が細胞質の一箇所に集まる(下段・左)。このチューブに高浸透圧の溶液を添加した後に、高速で10分間遠心すると集まった脂肪滴が囲卵腔へ放出される(下段・中央)。放出された脂肪滴は専用のガラスピペットで除去することが可能(下段・右)、下段の矢印は脂肪滴を示す。スケールバーは10ミクロン(μm)。
(2)脂肪滴を取り除いた卵子が受精した後の胚の発育
(1)で開発した方法で脂肪滴を取り除いた卵子を体外受精したところ、正常に受精し、着床する時期の状態の胚(胚盤胞)まで体外で発育しました。また、興味深いことに、脂肪滴を取り除いた直後から、卵子内に新たな脂肪滴が合成されることを発見しました(図2下段、卵子(0時間))。
図2 脂肪滴の単離後に新たな脂肪滴が合成される様子
脂肪滴を含む正常な卵子(上)と脂肪滴を取り除いた脂肪滴欠損卵子(下)を用いて体外受精を行い、受精後の1細胞と翌日の2細胞を観察した様子。脂肪滴欠損卵子ではすでに新しい脂肪滴合成が起こり始めており、サイズの小さい脂肪滴が出現する。受精するとさらに脂肪滴数が増加しサイズも大きくなり、2細胞になると正常卵と同じくらいの脂肪滴が含まれるのが分かる。脂肪滴は専用の試薬で染色して蛍光観察している。括弧内の数字は受精後の時間を示す。白いスケールバーは10ミクロン(μm)。
(3)新たな脂肪滴の合成を阻害した場合の受精後の胚発育
研究チームは、この新たな脂肪滴が脂肪酸から合成されると考え、この合成経路に関わる脂質合成酵素の一つであるACSL35)の働きを阻害する、トリアクシンC6)と呼ばれる化合物を添加した培地で、脂肪滴を欠損させた卵子の受精卵を培養しました。その結果、新たな脂肪滴の合成は阻害され、トリアクシンCによって脂肪滴が完全に欠損した受精卵の全てが、4細胞以降には発育せずに死んでしまいました(図3)。
図3 脂肪滴の合成の阻害により胚の発育が停止する様子
脂肪滴を取り除いた卵子を用いて体外受精を行い、トリアクシンCを含まない培地(上段・無し)と含む培地(下段・有り)のそれぞれで培養した様子。トリアクシンCを含まない培地では、脂肪滴が新たに合成されるため、受精卵は正常に発育する。一方、トリアクシンCを含む培地では、新たな脂肪滴の合成が起こらないため、受精卵の発育は4細胞までは正常であるが、それ以降は発育せずに死んでしまう。括弧内の数字は受精後の時間を示す。白いスケールバーは50ミクロン(μm)。
4)脂肪滴の量を過剰にした場合の胚の発育
脂肪滴を含む通常の卵子を受精させた後に、(1)の方法で取り除いた脂肪滴を移植して、脂肪滴を過剰に含む受精卵を作製し培養しました。その結果、時間の経過とともに脂肪滴が分解され、脂肪滴の量が通常の受精卵と同程度となり、着床する時期の状態の胚(胚盤胞)まで発育しました。一方、脂肪滴を移植した受精卵を、脂肪滴の消化酵素(リパーゼ)を阻害する化学物質を添加した培地で培養すると、移植した脂肪滴が残存し、着床する時期の状態の胚(胚盤胞)まで発育する割合は半分になりました。
これらのことから、受精卵内部では余分な脂肪滴は積極的に分解されて、適切な脂肪滴量になるように調節されると考えられます。
研究の成果と今後の展開
以上の結果から、受精卵の発育には適量の脂肪滴が必要であり、その量は卵子や受精卵の脂肪滴の合成や分解に関わる酵素の働きにより、適切に調節されていることが示されました。
脂肪滴の働きは、肥満や糖尿病、高血圧といった生活習慣病のリスク因子とも関連することが近年の研究で明らかになっています。卵子に含まれる脂肪滴の量もこのようなリスク因子によって影響を受け、卵子の質低下につながると考えられます。本研究で開発した脂肪を単離する技術を応用して、脂肪滴の量と卵子の質や不妊との関連性を明らかにすることにより、生命科学研究に欠かせないモデルマウスの開発促進や維持に役立つだけでなく、脂肪滴の量がマウスと同程度のヒトにおける卵子や受精卵の質の科学的な評価法の開発などにつながることが期待されます。
用語解説
1) 脂肪滴
リン脂質で囲まれた一重層内にトリアシルグリセロールなどの中性脂肪を蓄えた細胞内小器官(オルガネラ)です。ほとんどすべての細胞や組織に存在しています。一般的にはリパーゼ(消化酵素)の作用で分解されると遊離脂肪酸となり細胞内のエネルギーとして利用されます。最近では、エネルギーとしての役割以外にもタンパク質の貯蔵やホルモンの産生など、他にも多くの役割があることが分かっています。
2) 細胞内小器官
細胞内にある核や、ミトコンドリア、小胞体、リソソーム、脂肪滴、ゴルジ体など、特定の機能を持つ構造体の総称で、オルガネラとも言います。
3) オートファジー
酵母からヒトまで保存された機能で、細胞質の一部をオートファゴソームという二重膜で包み込み、リソソームで分解して細胞のエネルギーを産生する、傷ついた細胞内小器官を排除するといった働きも担います。オートファジーの仕組みを解明したことで、大隅良典先生(東工大栄誉教授)が2016年ノーベル医学生理学賞を受賞しました。
4) 囲卵腔
卵子や受精卵の周囲は、糖タンパク質から成る透明帯と呼ばれる構造体で覆われています。囲卵腔は、この透明帯の内側にある卵細胞膜との隙間を示します。
5) ACSL3
ACSL3(acyl-CoA synthetase 3:アシルCoA合成酵素3)は、脂質合成酵素の一つで、細胞内の脂肪酸をアシルCoAに変換する。アシルCoAは様々な脂質合成反応において基質として利用され、最終的にトリアシルグリセロールが合成され、合成されたトリアシルグリセロールは脂肪滴内部に蓄えられる。
6) トリアクシンC
脂肪酸をアシルCoAに変換するのに必要なアシルCoA合成酵素の阻害剤。2015年のノーベル医学生理学賞を受賞した大村智先生(北里大学特別栄誉教授)が発見したことでも有名。
参考文献
Tatsumi T., et al., Development. 2018, 145(4), dev161893
発表雑誌
雑誌名:
Development
論文タイトル:
Synthesis and maintenance of lipid droplets are essential for mouse preimplantation embryonic development(マウスの着床前胚の発育には脂肪滴の合成と維持が必要)
著者:
Ryutaro Aizawa, Megumi Ibayashi, Takayuki Tatsumi, Atsushi Yamamoto, Toshiaki Kokubo, Naoyuki Miyasaka, Ken Sato, Shuntaro Ikeda, Naojiro Minami, and Satoshi Tsukamoto*
(*責任著者)
DOI番号:10.1242/dev.181925