発表のポイント
- イオンビーム照射した炭素材料に白金を保持させる新手法により、燃料電池触媒の酸素還元反応活性を2倍以上向上させることに成功
- 酸素還元反応活性の向上が、白金微粒子を保持する炭素材料の欠陥構造と白金との相互作用に起因する新しいメカニズムによることを明らかに
- 燃料電池自動車の本格的な普及に向けて研究グループが掲げた「酸素還元反応活性と耐久性を掛け合わせた性能で10倍向上」という目標の達成に向け大きく前進
- 今後、耐久性の向上や実触媒製造プロセスの実現を図ることで、白金使用量の大幅削減による燃料電池のコスト低減が期待
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長:平野俊夫、以下「量研」という。)量子ビーム科学部門高崎量子応用研究所の八巻徹也次長・プロジェクトリーダー、山本春也上席研究員、木全哲也協力研究員(当時は実習生)、国立大学法人東京大学大学院工学系研究科(研究科長:染谷隆夫)の毛偉特任研究員(研究当時は助教)、寺井隆幸名誉教授(研究当時は教授)、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:児玉敏雄)の松村大樹研究主幹、下山巖研究主幹らを中心とする研究グループは、イオンビーム照射した炭素材料に白金を保持させる新手法によって、固体高分子形燃料電池(PEFC)の触媒性能を2倍以上向上させることに成功しました。また、この性能向上には、炭素材料に導入した欠陥構造と白金(Pt)微粒子の相互作用に起因するメカニズムが関与することを明らかにしました。今回の成果は、研究グループが掲げた目標「酸素還元反応(ORR)活性と耐久性を掛け合わせた性能で10倍向上」の達成をぐっと手繰り寄せるものです。
水素エネルギーはカーボンニュートラル実現の切り札の一つです。水素を使う燃料電池自動車(FCV)の普及拡大には、搭載するPEFCのコスト低減が不可欠で、そのカギを握るのがPEFC酸素極のORR触媒という材料です。現在のORR触媒には、高価なPtの微粒子を炭素材料に保持させた「Pt微粒子/炭素材料」が大量に使われており、Pt使用量を削減するためのORR活性と耐久性の向上が技術課題になっています。
そこで研究グループは、Pt微粒子と炭素材料との界面で発現するPtと炭素の相互作用を使ってPt微粒子の電子構造を操作すれば、この課題を克服できると考えました。量研のイオン照射研究施設(TIARA)を用いて炭素材料に欠陥構造を導入し、その表面にPt微粒子を形成させるという新しい方法で触媒を作製したところ、欠陥導入がない場合と比較して2倍以上優れたORR活性を実現できました。また、放射光実験と理論計算により、高活性化のメカニズムがPt微粒子から炭素材料への電荷移動に伴う界面相互作用の強化に起因したPtの酸化抑制にあることを突き止めました。
研究グループは、FCVの本格的普及に向け、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が策定した燃料電池・水素技術開発ロードマップを参考に、「ORR活性と耐久性を掛け合わせた性能で10倍向上」という目標を掲げて研究を進めています。
イオンビームを用いた欠陥構造の導入による界面相互作用の強化は、ORR活性向上だけでなく、ORRに伴うPt微粒子の劣化抑制の効果も示唆しています。研究グループでは、今回の成果を踏まえて、すでに耐久性に関する研究にも着手し、その向上の端緒をつかみつつあります。
今後、掲げた目標を達成することで、PEFCのPt使用量を大幅削減するための技術の確立を目指します。将来、本技術による実触媒の製造プロセスが実現すれば、PEFCのコスト低減という課題は解決され、FCVの本格的普及や水素利活用の拡大を通してカーボンニュートラル実現への貢献が期待できます。
本研究の一部は、日本学術振興会の科学研究費助成事業(18H01923、21H04669)の助成を受けて実施したものです。なお、本研究成果は米国物理学会「Physical Review Materials」誌のオンライン版に2022年3月31日(木)1:00(日本時間)に掲載されました。
背景
2050年カーボンニュートラル実現に向け、水素と空気中の酸素から水を生成する際のエネルギーを電力に変換する燃料電池が水素の利活用を担う発電デバイスとして期待されています。最近では、燃料電池自動車(FCV)が商品化され、その動力源として固体高分子形燃料電池(PEFC)1)の利用が始まりました。しかし、PEFCの水素極と酸素極には貴金属である白金(Pt)の微粒子が触媒として用いられ、大量の触媒が必要な高出力のFCV用PEFCは高価格となるため、市場への普及が遅れています。特に、酸素極における還元反応が水素極の酸化反応に比べて速度が遅く、酸素極に大量のPtが使用されていることがPEFCコスト低減へのボトルネックになっています。優れた性能、すなわち高い酸素還元反応(ORR)2)活性と耐久性を有するPt触媒の開発によりPt使用量を削減する必要があります。研究グループでは、NEDO燃料電池・水素技術開発ロードマップ(NEDO技術マップ)3)を参考に、ORR活性と耐久性を掛け合わせた性能で10倍向上を実用化への目標に定め、Pt触媒の開発を進めています。
ORR触媒として、ナノサイズのPt微粒子を炭素材料に保持した「Pt微粒子/炭素材料」が用いられます。そこで近年、Pt微粒子を保持する炭素材料を改質することで発現するPt-炭素相互作用を活用することが、活性向上のための新たな手法として注目されています。Pt-炭素相互作用の発現と活用の手法には大きく分けて2種類あります。一つは、炭素材料の表面を化学的に修飾しPt-炭素相互作用を変化させることによってPt微粒子のサイズや分散性を制御するもので、これまでに活性向上の例が多数報告されています。もう一つは、炭素材料への不純物原子や欠陥構造4)の導入により変化するPt-炭素相互作用を使って、Pt微粒子の電子構造を操作するという手法です。電子構造という根本からの制御可能性を秘めたこの手法に大きな期待が集まっており、窒素原子などの不純物を導入した炭素材料によるORR高活性化の研究がいくつか報告されてきました。一方、欠陥構造の導入による効果については、第一原理計算5)からの理論的予測があったものの、これまで活性向上を実現した例はありませんでした。
イオンビーム6)や電子ビーム等の量子ビームの照射は、結晶材料中に原子空孔等の欠陥構造を導入するための方法として、半導体デバイスの加工・製造プロセスに広く応用されています。最近では、窒素不純物を含むダイヤモンド中に原子空孔を導入する技術として利用され、形成された窒素-空孔(NV)センター7)による量子センサーの研究が量研をはじめとする多くの研究機関において活発に進められています。研究グループは、特にイオンビーム照射により導入される欠陥構造が材料の表面にのみ効率的に形成されることに着目し、量研が持つイオン照射研究施設(TIARA)のイオン注入装置を用いてPt微粒子を保持する炭素材料の改質に関する研究に取り組んできました。
研究手法・成果
これまでの研究において、代表的な炭素電極の材料であるグラッシーカーボン(GC)8)からなる基板の表面に、真空中で380 keVのエネルギーに加速したアルゴンのイオンビームを照射することで、原子空孔等の欠陥構造を導入しました。その後、照射基板の上に、スパッタ蒸着法により大きさが5ナノメートル程度のPt微粒子を堆積しました。GC基板に欠陥構造があることがPtから炭素への電荷移動を促進し、その状態が維持されることで界面相互作用が強まることをつかんでいました(参考文献1))。
今回、研究グループは、このような炭素材料における欠陥構造により強まったPt-炭素相互作用を利用して、Pt微粒子の電子構造を操作し、高活性なORR触媒を作製しようと考えました。欠陥構造の量は、1 cm2当たり1.0 × 1014個から1.0 × 1016個の間で、照射するアルゴンイオンの数を調整することによって制御しました。欠陥構造を含むGC基板の上に堆積したPt微粒子(Pt/照射GC)のORR活性は、電気化学的な手法である回転電極法9)によって評価しました。その結果、活性を表すPt単位面積当たりの電流(ik)と電位との関係(図1(a))において、同じ電位で比較したときのikがGC基板の照射によって増大することが分かりました。例えば、電位 0.85 Vにおけるikで比較すると、照射イオンの数、すなわち欠陥構造の増加に伴って単純増加し、未照射基板上のPt微粒子(Pt/未照射GC)に比べ最大で約2.2倍にまで高まることが明らかになりました(図1(b))。
(a)
(b)
図1(a)GC基板への380 keVアルゴンイオンの照射とPt微粒子の堆積。回転電極法により得られたikと電位との関係。点線はPt/未照射GC、3本の実線はPt/照射GC(試料名に続く括弧内の数字は1 cm2当たりの照射イオンの数)の結果を表す。(b)電位0.85 VにおけるikをPt/未照射GCと3つのPt/照射GCとで比較。
この活性向上は、炭素材料における欠陥構造により強まったPt-炭素相互作用に起因すると考えられますが、そのメカニズムは明らかではありませんでした。そこで、放射光を使ったX線吸収微細構造(XAFS)10)測定により、Pt/未照射GC とPt/照射GC におけるPtの化学状態を調べたところ、照射イオンの数、すなわち欠陥構造の導入と増加に伴ってフォトンエネルギー2648 eV付近の吸収ピークの強度が減少しており、Ptの酸化が抑制されていることが確認されました(図2)。この酸化抑制の効果は、酸素との結合エネルギーの低下を意味しており、ORR過程で形成される酸素含有の表面官能基の脱離を速めた結果、活性向上をもたらしたと考えられます。
図2 Pt M3吸収端のXAFSスペクトル
次に、Pt微粒子の酸化抑制がイオンビーム照射した炭素材料のどのような欠陥構造に起因するかを調べるため、密度汎関数理論(DFT)11)に基づく第一原理計算を実施しました。ここでは、炭素材料を模擬する3層グラフェンシートの上に配置した13原子のPtクラスター(Pt13)を計算モデル(図3(a)~(e))として、表面から第1、2層目のグラフェンシートに単一あるいは複数の原子空孔を導入したときのdバンドセンター13)を計算しました。一般に、酸素との結合が弱くなりORR活性が向上するとき、Pt微粒子のdバンドセンターが小さくなると言われています。図3の計算結果では、原子空孔なしの(a)と比較して、(c)~(e)のグラフェンシート上でPt13のdバンドセンターが低下しており、この傾向と一致しました。したがって、炭素材料に導入された複数の原子空孔からなる欠陥構造がその上に堆積したPt微粒子の酸素吸着性を弱めた、すなわちPt微粒子の電子構造を変化させた結果としてORR活性が向上したと考えられます。このように、イオンビーム照射により強化されたPt-炭素相互作用に起因する新しいメカニズムによって、高い活性を持つPEFC触媒の開発に世界で初めて成功しました。
図3 DFTに基づく第一原理計算のため、3層グラフェンシートの上に配置したPt13クラスター計算モデル。表面から第1、2層目のグラフェンシートに単一あるいは複数の原子空孔を導入((a)原子空孔なし、(b)1層目に単一の原子空孔、(c)1層目に二つの原子空孔、(d)1、2層目のそれぞれに単一の原子空孔、(e)1、2層目のそれぞれに二つの原子空孔)。dバンドセンターの計算値はPt 13原子の平均値。
今後の展望
イオンビーム照射で炭素材料に複数の原子空孔からなる欠陥構造を導入し、その上にPt微粒子を堆積することで、ORR活性に優れたPEFC触媒を実現しました。欠陥構造がPtから炭素への電荷移動を促進し界面相互作用を強化することによりPt微粒子の酸化を抑制する、という新しい活性化メカニズムをXAFS測定とDFT計算を用いて実証しました。欠陥構造の導入による界面相互作用の強化は、ORR活性向上だけでなく、使用に伴うPt微粒子の劣化抑制の効果も示唆しています。すでに、研究グループでは、耐久性に関する研究にも着手しており、その向上の端緒をつかみつつあります。
今後は、「ORR活性と耐久性を掛け合わせた性能で10倍向上」の目標を達成するとともに、炭素材料の基板から粉体をイオンビームの照射対象として、実触媒の製造プロセスの検討を進める予定です。これにより、PEFCのコスト低減という課題は解決され、2030年頃までの目標としてNEDO技術マップに掲げられたFCV の累計80万台普及や水素利活用の拡大を通して、カーボンニュートラル実現への貢献が期待できます。
用語解説
1.)固体高分子形燃料電池(PEFC)
水素と酸素による電気化学反応によって発電する燃料電池の一種で、水素イオン伝導性を有する高分子膜(イオン交換膜)が電解質として用いられています。水素の酸化反応(水素極)と酸素の還元反応(酸素極)を担う電極触媒としてPtが使われています。
2.)酸素還元反応(ORR)
PEFCの酸素極で起こる酸素分子の還元であり、様々な過程を伴った速度の遅い反応であるため、最も高い活性を示すPtが大量に用いられています。
3.) NEDO燃料電池・水素技術開発ロードマップ(NEDO技術マップ)
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が燃料電池システム等の高性能化や低コスト化に向けた技術的課題を整理し、2018年に策定しました。ここでは、2025 年頃の実用化に向けた触媒の研究開発に対して、出力密度(主として活性に相当)×耐久時間で10倍以上の向上が課題に挙げられています。
4.) 欠陥構造
結晶材料にイオンビームや電子ビーム等の量子ビームを照射したとき、そのエネルギー付与により生じる原子配列の乱れを指します。結晶格子中の原子があるべきところに存在しない欠陥構造を原子空孔、あるいは単に空孔と言います。
5.) 第一原理計算
量子力学の基本法則に沿った電子状態理論を使って、固体の性質を計算する手法です。実験結果と第一原理計算を照らし合わせることにより、新たな学理の構築や機構の解明、実験結果のシミュレーション予測などに用いられます。
6.) イオンビーム
量子ビームの一種です。加速器で高速に加速したイオン(この研究ではアルゴンイオン)の束を指します。
7.) 窒素-空孔(NV)センター
ダイヤモンド結晶中の不純物窒素とその隣に形成された空孔とが作る原子配列の欠陥構造です。周辺環境の変化を極めて敏感に検知して量子状態が変化する性質を有し、これをセンサーとして利用できます。このため、NVセンターを持つダイヤモンドは量子センサー」と呼ばれて注目されています。
8.) グラッシーカーボン(GC)
ガラス状炭素とも呼ばれる炭素材料の一種です。印加できる電位の範囲が広く、化学的にも純度が高く安定であるため、電気化学測定用の電極として用いられています。
9.) 回転電極法
作製した電極触媒を高速回転させてORR活性を評価する手法です。準備した試料を酸素飽和させた電解液中、一定の回転数に保ちながら電位を変化させます。本研究では、可逆水素電極と呼ばれる参照電極に対して0.05~1.25 Vの電位範囲です。その際、ある電位で流れる電極面積当たりの電流値から、ORR速度に相当する触媒活性を見積もります。
10.) X線吸収微細構造(XAFS)
入射するX線のエネルギーを変えながら物質による吸光度を測定することで、対象の原子近傍の局所的な構造や化学状態を分析する手法です。本研究では、Ptに対するM3吸収端(2645 eV)、L3吸収端(11564 eV)付近のXAFSスペクトルにより、どちらも5d空軌道の情報を取得しています。
11.)密度汎関数理論(DFT)
現在、固体物性の分野で広く使われている多電子系(原子、分子、結晶)の電子状態を調べる計算手法です。
12.)dバンドセンター
フェルミ準位以下にあるd電子エネルギーの平均値を指します。
参考文献
- T. Kimata, S. Kato, T. Yamaki, S. Yamamoto, and T. Kobayashi, Surf. Coat. Technol. 306 (2016) 123-126.
各研究機関の役割
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構:試料作製、XAFS測定、実験データ解析、論文執筆
国立大学法人東京大学:DFT計算、XAFS測定、実験データ解析、論文執筆
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構:XAFS測定、実験データ解析、論文執筆
国立大学法人東京工業大学:実験データ解析
公立大学法人大阪府立大学:XAFS測定
国立研究開発法人理化学研究所:試料分析
論文情報
タイトル:Activity enhancement of platinum oxygen-reduction electrocatalysts using ion-beam induced defects(イオンビーム誘起欠陥を利用した白金酸素還元電極触媒の活性向上)
著者:Tetsuya Kimata1,2,3, Kenta Kakitani1,3, Shunya Yamamoto3, Iwao Shimoyama4, Daiju Matsumura5, Akihiro Iwase6, Wei Mao7, Tomohiro Kobayashi8, Tetsuya Yamaki3, Takayuki Terai1,7
1 Department of Nuclear Engineering and Management, School of Engineering, The University of Tokyo
2 Department of Materials Science and Engineering, Tokyo Institute of Technology
3 Takasaki Advanced Radiation Research Institute, Quantum Beam Science Directorate, National Institutes for Quantum Science and Technology
4 Materials Sciences Research Center (Tokai), Japan Atomic Energy Agency
5 Materials Sciences Research Center (SPring-8), Japan Atomic Energy Agency
6 Department of Materials Science, Osaka Prefecture University
7 The Institute of Engineering Innovation, School of Engineering, The University of Tokyo
8 Neutron Beam Technology Team, RIKEN
掲載誌:Physical Review Materials
DOI:10.1103/PhysRevMaterials.00.005800