発表のポイント
- 核融合実験炉イーターの計測装置の研究開発を通じ、200℃から3,600℃の広範囲にわたる温度について、高精度で計測する新たな温度計測手法(2重2波長法)を開発した。
- 本手法は、イーターのみならず、汎用のサーモグラフィ機器等への応用も期待される。
概要
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫。以下「QST」という。)は、南フランスに建設中の核融合実験炉イーター1)において、日本が調達するダイバータ2)赤外サーモグラフィ装置3)の温度計測精度を大幅に向上させる新たな温度計測手法を開発しました。
同計測装置は、イーターの運転中に高熱負荷に晒されるダイバータと呼ばれる機器の表面温度を計測するための装置です。運転中のイーターの装置健全性を監視するために200℃から3,600℃の広範囲にわたる温度を誤差10%の範囲内で連続計測することが求められるため、2色温度計測4)により、測定対象から放射される赤外線のうち特定の2つの波長帯の光の明るさの比(輝度比)に基づき温度計測を行います。一方、従来の2色温度計測は、対象温度が高温になるにつれて計測精度が悪化するため、3,600℃付近の高温領域で10%の温度計測精度を実現することが困難でした。広い範囲にわたって高い温度計測精度を実現するためには、観測波長を2波長から3波長以上に増加し計測温度範囲ごとに異なる2波長を組み合わせて温度計測するのが一般的ですが、イーターの設計上コンパクトな設計が要求される上、1つの観測波長の追加につき高精度の赤外線カメラ1台追加する必要があるため、コストの観点からも、この方法は得策ではありません。そのため、QSTは温度計測精度向上のための別のアプローチとして、ダイバータの放射率の較正精度向上、その他計測ノイズの低減に向けた研究開発に努めてきましたが、計測精度の抜本的な向上には至りませんでした。
そこで、QSTは着眼点を変え、2色温度計測の原理を拡張し、2色温度計測の機器構成を変更することなく実質的に3波長を同時に計測する新たな温度計測手法(2重2波長法)を開発しました。開発手法では従来の2色温度計測のバンドパスフィルタ1枚を入れ替えるだけのシンプルな改良で、赤外線カメラの台数を追加することなく、2台の赤外線カメラで3波長の計測と同等の温度計測精度が得られ、従来の2色温度計測から期待される温度計測精度を55%以上から10%以下へと6倍近く向上させることに成功しました。
本研究成果は、米国物理学協会(AIP)が発行する国際学術誌「Review of Scientific Instruments」に、2022年8月31日に掲載されました。さらに、この温度計測手法はフュージョンエネルギーの研究にとどまらず、空間的な制限によりコンパクトな設計が要求される場所等において、広い温度計測レンジを高精度で計測する必要がある汎用のサーモグラフィ機器等への応用が広く期待されるため、2021年11月に特許出願を行っています(特願2021-194956)。
研究開発の背景
核融合炉においては、数億度の超高温プラズマを生成することで核融合反応(燃焼)を起こし、その反応エネルギー(フュージョンエネルギー)を核融合出力として取出し発電します。現在は50万キロワットの核融合出力の実証に向け、国際協力の下、フランスでイーターの建設が進められています。イーターは真空容器や超伝導コイル、加熱装置、計測装置など様々な機器及びシステムから構成されますが、その中で計測装置は、核融合燃焼プラズマの特性を計測するとともに、その計測結果を用いて燃焼制御を行う重要な役割を担っています。
日本が製作を担当するダイバータ赤外サーモグラフィ装置は、赤外線カメラを用いてイーターのダイバータと呼ばれる機器の表面温度を2次元計測し、ダイバータへの熱負荷を評価する計測装置であり、イーターの装置健全性を確認する観点から、非常に重要な計測装置です。この計測装置はイーターのダイバータの表面温度を200℃から3,600℃の広範囲にわたり10%の精度で計測することが求められています。同計測装置は高い熱負荷、放射線環境下に配置された大規模な赤外光学システム(全長約15メートル)から構成され、市販の非接触式温度計では想定されない赤外線信号の計測誤差が予測されます。そのような計測誤差の影響を受けにくい温度計測を実現するため、2波長の輝度比に基づく2色温度計測を行います。しかし、200℃から3,600℃といった非常に広い範囲の温度計測においては、対象の温度が高温になるにつれて温度変化に対する輝度比の変化率が小さくなってしまうことに起因して計測精度が劣化してしまうため、従来の2色温度計測を用いて3,600℃付近の高温領域で10%の温度計測精度を実現することは困難でした。これを克服する一般的な方法として、測定波長を3波長以上に増加して温度レンジごとに異なる2波長の組み合わせで計測する方法があります。しかし、高速で温度が変化するダイバータ表面を連続して測定し続けるため(ダイバータ赤外サーモグラフィ装置に要求される時間分解能は最高20マイクロ秒)には、測定する波長の追加に応じ高精度の赤外線カメラの台数を増やす必要があります。この方法は限られた占有空間内で設計を成立させなければならないイーターの計測装置には不向きであるだけでなく、コストの観点からも課題がありました。そのため、QSTは温度計測精度向上のための別の方法としてダイバータの放射率の較正精度向上、その他計測ノイズの低減を目指した研究開発を進めてきましたが、10%の温度計測精度を実現する抜本的な精度向上には至りませんでした。
今回考案した2重2波長法
これらの課題を解決するため、QSTは着眼点を変え、2色温度計測の原理を拡張し、2色温度計測の機器構成を変更することなく実質的に3波長を同時に計測する新たな温度計測手法(2重2波長法)を開発しました。図1に従来の2色温度計測と2重2波長法の計測構成の概要を簡単に示しています。従来の2色温度計測では、ダイバータから伝送した光を波長分配器(ダイクロイックミラー)で長波長成分の光と短波長成分の光に分岐した後、特定の波長の光のみを通すフィルタ(バンドパスフィルタ)2枚を使用し、2つの波長成分に分光することでそれぞれの波長成分の輝度比を用いて温度を算出します。一方、今回開発した手法では、2色温度計測の長波長側のバンドパスフィルタ(波長バンドλ1)はそのままに、短波長側のバンドパスフィルタのみを2つの波長の光を通すデュアルバンドパスフィルタに置き換え、3つ目の波長を導入します。図2に示すデュアルバンドパスフィルタを通過する波長成分別の光の輝度値からわかるように、2つの波長バンドを通過する光の輝度値は低温計測の際には長波長側のλ2の波長バンド成分が支配的なのに対し、高温計測では支配的な成分は短波長側のλ3の波長バンド成分に入れ換わります。このことにより、検出器の台数は2台のままであるのにもかかわらず低温領域の計測では従来の2色温度計測の長波長側バンドパスフィルタのλ1とλ2の波長の組み合わせ、高温領域の計測ではλ1とλ3の波長の組み合わせの2色温度計測と同等の性能を得ることが可能となります。計測温度の変化によって自動的に波長の組み合わせが入れ替わる2段構えの2色温度計測となっている特徴から今回開発した手法を2重2波長法と名付けました。
図1 従来の2色温度計測と2重2波長法の計測構成の概要
図2 デュアルバンドパスフィルタを通過する波長成分別の光の輝度値
上記セットアップの大部分は市販品から構築できますが、鍵となる短波長側のデュアルバンドパスフィルタだけは特注製作をする必要があります。そこで、QSTはデュアルバンドパスフィルタのプロトタイプを製作し、実現されたフィルタの透過特性から実機で見込まれる温度計測精度の評価を行いました。図3は、デュアルバンドパスフィルタのプロトタイプの外観と透過率を示しています。今回のプロトタイプでは石英基板とシリコン基板の2枚のフィルタを重ねて使用し、計4面の光学面により赤線で示すデュアルバンドの透過特性が実現しました。図4は、2色温度計測の長波長側に市販のバンドパスフィルタ(図3)、短波長側に今回製作したデュアルバンドパスフィルタを使用した場合と従来の2色温度計測を行った場合に同計測機器で想定される温度計測精度を示しています(ここではダイバータ赤外サーモグラフィ装置で取得した赤外信号(輝度比)の測定誤差が全温度範囲にわたって10%という想定で計算を行っています。)。図からわかるように従来の2色温度計測では計測温度が高くなるにつれて計測精度が劣化し、3,600℃では実に55%以上になってしまうことがわかります。しかし、今回開発した2重2波長法では全ての計測温度領域において従来法よりも大幅に計測精度が向上しており、3,600℃計測時には10%以下と従来法よりも約6倍近くまで計測精度が向上しています。これにより全ての計測温度領域において要求されている10%の温度計測精度を実現できる見込みが得られました。
図3 デュアルバンドパスフィルタのプロトタイプの外観と透過率
図4 従来の2色温度計測と開発した手法(2重2波長法)を用いてダイバータ赤外サーモグラフィ装置実機で予測される温度計測精度(ダイバータ赤外サーモグラフィ装置実機で取得した赤外信号(輝度比)の測定誤差が全温度範囲にわたって10%という想定で計算。)
今後の予定
今回開発した2重2波長法は、広い温度範囲をサーモグラフィの原理で高精度に計測する必要がある多くの分野に適用可能であり、バンドパスフィルタを入れ替えるだけで適用可能であるという手軽さからも核融合以外の広い分野への波及効果が期待できます。QSTは、空間的な制限によりコンパクトな設計が要求される場所等における汎用のサーモグラフィ機器などへの応用を期待して同技術に対する特許出願を行っています(特願2021-194956)。
用語解説
我が国は、世界7極35か国の国際協力により、実験炉の建設・運転を通じてフュージョンエネルギーの科学的・技術的実現可能性を実証するITER(イーター)計画を推進しています。下図は核融合実験炉ITERの鳥瞰図とITERの一部であるダイバータ部です。現在、サイトがあるフランスのサン・ポール・レ・デュランスにおいて、運転開始に向けた建屋の建設や機器の組立が進められているとともに、各極において、それぞれが調達を担当する様々なイーター構成機器の製作が進められています。
イーター計画に関するホームページ https://www.fusion.qst.go.jp/ITER/ (日本語)
イーター機構のホームページ https://www.iter.org/ (英語)
イーター鳥観図
プラズマ中の不純物を排気し、プラズマの純度を維持するための装置であり、装置内壁で唯一プラズマと接触するため、非常に高い熱負荷を受けます。(上図参照)
イーターのダイバータ赤外サーモグラフィ装置(下図参照)は、イーターのダイバータの表面温度を赤外線カメラを用いて2次元計測し、ダイバータへの熱流束を評価する計測装置で、イーターの装置健全性を確認する観点から非常に重要な計測装置です。QSTは、2013年7月にイーター機構との間で調達取決めを締結して、実機の調達活動を進めています。
ダイバータ赤外サーモグラフィ装置の鳥瞰図
絶対零度以上の温度の物体(黒体)はプランクの法則と呼ばれる法則に基づいて、光を放射しまし、温度が高くなると放射される光の輝度(明るさ)が高くなることがわかっています(下図参照)。サーモグラフィはその光の輝度から非接触で温度を計測する技術です。一般的な非接触の温度計測では単一の波長(単色)の光を計測し、その光の強度から温度を算出します。それに対し2色温度計測は2つの波長の光の強度を観測しその輝度比から温度を算出します。どちらを採用すべきかはケースバイケースですが、一般的に2色温度計測では観測光路中の水蒸気や光学素子の汚れなどに起因する光強度の測定誤差が温度算出の精度に与える影響を低減することが期待でき、ノイズが多い環境での計測で高い精度が期待できます。例えば光学素子が曇ってしまい、測定される2色の光強度がそれぞれ80%に低下してしまったとしても輝度比の変化はないため、温度計測に誤差は生じません。また、赤外線領域には大気(主に二酸化炭素と水)の吸収波長帯が多く存在するため、単色の計測、2色温度計測どちらの場合でも精度の良い計測を行うためには大気の吸収を避けて波長選定を行うことが重要です。そのため、ダイバータ赤外サーモグラフィ装置では大気の吸収を極力避けて1.5マイクロメートル、3マイクロメートル、4.5マイクロメートル付近の3波長を選定しています。
プランクの法則に基づく物体(黒体)から放射される光の分光輝度(色の違いによる光の明るさ)。温度が高くなると放射される光の輝度が高くなることがわかります。