国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
国立大学法人埼玉大学
ポイント
- 生物はDNAの傷を治す仕組みを複数備えているが、その使い分けは長年の謎であった。
- 種子では主にDNAを「ほぼそのままつなぐ」修復をするのに対し、幼植物では「大きく加工してからつなぐ」修復をすることを見出した。
- 農業と環境に欠かせない育種の高効率化への貢献が期待される。
概要
量子科学技術研究開発機構(理事長:小安重夫)高崎量子技術基盤研究所(以下「QST高崎研」)の北村智上席研究員らは、埼玉大学(学長:坂井貴文)大学院理工学研究科の吉原亮平助教との共同研究で、DNAの傷を治す仕組みが植物の成長段階に応じて使い分けられていることを発見しました。
生物は自身の遺伝情報であるDNAを正確に維持するために、DNAに生じた傷を治す様々な仕組みを進化の過程で獲得してきました。植物では、最も重篤なタイプの傷である二本鎖切断(→用語解説)を治す際、切れたDNAを「ほぼそのままつなぐ」仕組みが主役として働き、「大きく加工してからつなぐ」仕組みが脇役として働くと考えられていますが、二本鎖切断の修復の様子を数多く検出して調査することが難しいため、2つの修復方法がどのように使い分けられているのかはよくわかっていませんでした。
QST高崎研では、放射線を照射した植物から変異を直接検出する独自技術(→用語解説)を開発していましたが、今回、この技術を用いて、放射線を種子と幼植物に照射して起こした二本鎖切断がどのように修復されるかを調べました。その結果、種子の場合は主に「ほぼそのままつなぐ」修復が、幼植物の場合は主に「大きく加工してからつなぐ」修復が行われていることを発見しました。この結果は、従来から考えられてきたように2つの修復方法が主役・脇役の関係にあるのではなく、植物が成長段階に応じて両者を使い分けていることを意味します。
変異、すなわちDNA配列の変化は生物にとってリスクであると同時に新たな特性を生み出す進化の原動力でもあります。人類が有史以前から行ってきた育種も同じメカニズムによります。今回得られた知見から、放射線を照射する植物の成長段階を選んだりDNAの傷を治す仕組みを制御したりする変異導入によって、効率的に新品種開発が進むと期待されます。
本研究は、国際植物雑誌Plant Journalに令和6年9月24日(日本時間)にオンライン掲載されました。本研究は、日本学術振興会の科学研究費助成事業(JP19K12333, JP16H06279[PAGS])及びキヤノン財団の助成を一部受けています。
【研究開発の背景】
植物を含むすべての生物は、遺伝情報であるDNAを正確に維持するためにDNAの傷を治す修復機構を備えています。DNAに生じた傷を誤って修復した場合は変異としてDNA配列が変化してしまいますが、このような変異の積み重ねが生物の多様性を生み出してきました。特に植物では、放射線などで人為的に起こした変異が作物の品種改良に積極的に利用されており、QST高崎研では放射線の一種であるイオンビーム(→用語解説)を利用して多くの新品種を開発してきました。
細胞内のDNAは、らせん状に二本の鎖が絡まりあった二本鎖構造をしており、両方の鎖が同時に切れる二本鎖切断(double strand break; DSB →用語解説)は最も重篤なDNA損傷です。DSBを治す仕組みについては、切れたDNAをほぼそのままつなぐ非相同末端結合(canonical non-homologous end-joining; cNHEJ)が主役として関与し、切れたDNAの末端を大きく加工してからつなぐ代替的末端結合(alternative end-joining; alt-EJ)が脇役として機能すると考えられています。我々は、この2つの仕組みを制御すると効率的な変異の導入が可能になると考えました。しかし、これらがどのように使い分けられているかはよくわかっていませんでした。
【研究の手法と成果】
この使い分けを明らかにするためには、DSBの修復の痕跡を数多く取得して調査することが不可欠ですが、変異処理した植物の後代を解析する従来法では困難でした。QST高崎研では、放射線照射した植物から特定の変異細胞を識別して変異を直接検出する独自技術(→用語解説)を開発していましたが、今回、この方法を使うことによって従来法に比べてDSBの修復の痕跡を10倍以上鋭敏に検出できることを確認しました。そこで、モデル植物シロイヌナズナ(→用語解説)の種子と幼植物にイオンビームを照射して、DSBがどのように修復されるのかを調べました。種子に照射した場合には、大きく加工してからつながれたalt-EJタイプが全体の約3割であることがわかりました。一方、幼植物にイオンビームを照射した場合にはalt-EJタイプが約7割にまで上昇することがわかりました(図1)。これらの結果は、従来から考えられてきたように2つの修復方法が主役・脇役の関係にあるのではなく、植物が成長段階に応じて両者を使い分けていることを意味します。
図1 本研究で検出したDSBを治す仕組みの使い分けの様相
確認のために、cNHEJを人工的に働かないようにした変異株の種子と幼植物にイオンビームを照射しました。変異株の種子ではcNHEJがDSBを治せないために野生株に比べてイオンビームに極めて弱くなりましたが、変異株の幼植物では野生株よりもわずかに弱くなる程度でした(図2)。これは幼植物では、切れたDNAを治すためにcNHEJがあまり関与していないことを示しており、DSBの修復の痕跡を調べた結果と一致しました。
図2 cNHEJが働かない変異株と野生株のイオンビーム照射後の生存率
幼植物では種子に比べて水分が多いために、水が放射線のエネルギーを吸収して作られる反応性の高い活性種がDNAに傷を与えやすく、また、細胞分裂や代謝も活発であるため、DSB の質(切れたDNAの末端構造など)に違いがある可能性があります。今回の成果から、幼植物のような代謝が活発な組織に生じたDSBを治すためには、従来マイナーな修復機構と考えられていたalt-EJが実は大きな役割を果たしていることがわかりました。
本研究は、量子科学技術研究開発機構が中心となって遂行し、埼玉大学が変異体を用いた解析の一部を担当しました。
【今後の展開】
DNA配列の変化は生物にとってリスクであると同時に新たな特性を生み出す原動力でもあります。植物の成長段階によってDNA修復の様子が異なるという今回の成果は、従来のDNA修復機構の使い分けに関する見方を変えるもので、植物の進化を考察する上でも新たな視点を与える可能性があります。また、変異処理する植物の成長段階を変えるだけで同じ植物から従来以上に多様な変異を創出したり、alt-EJを活性化させたゲノム編集でDNA配列を大きく改変する技術開発などに応用し、効率的な新品種開発に結び付くものと期待されます。
【謝辞】
本研究は、日本学術振興会の科学研究費助成事業(JP19K12333、JP16H06279[PAGS])、及びキヤノン財団の支援を一部受けて実施しました。
【用語解説】
- 二本鎖切断:らせん状に二本の鎖が絡まりあった構造をしているDNAの両方の鎖が放射線照射などによって同時に切れることで、最も修復が難しいDNA損傷です。
- 変異を直接検出する独自技術:変異処理した植物そのものには様々な変異細胞が混在して複雑であるため、生じた変異を検出することが難しく、従来は変異処理した植物の後代を用いて変異を検出していました。しかし、植物の後代を解析する従来法では、変異の一部が世代を経る過程で失われるため、変異処理によって生じた全変異を検出できませんでした。QST高崎研では、放射線照射した植物から特定の変異細胞を識別することで、変異処理した植物そのものから直接、生じた全変異を検出する独自技術を開発していました。今回この方法を適用することで、DSBの修復の痕跡を従来法よりも数多く検出することができました。
- イオンビーム:炭素やヘリウムなどの原子から電子を剥ぎ取った原子核(イオン)を加速器によって光速の数分の一程度にまで高速に加速したもの。植物や微生物に照射することにより、DNAに傷が生じ、人為的に変異を起こすことができます。
- シロイヌナズナ:アブラナ科に属する小型の植物。植物として初めてゲノムDNAの配列が解読され、モデル植物として世界中で利用されています。
【掲載論文】
タイトル:Differential contributions of double-strand break repair pathways to DNA rearrangements following the irradiation of Arabidopsis seeds and seedlings with ion beams
著者:Satoshi Kitamura1, *, Katsuya Satoh1, Yoshihiro Hase1, Ryouhei Yoshihara2, Yutaka Oono1, Naoya Shikazono3
(*:責任著者)
所属:
1. Takasaki Institute for Advanced Quantum Science, National Institutes for Quantum Science and Technology (QST)
2. Department of Regulatory Biology, Faculty of Science, Saitama University
3. Kansai Institute for Photon Science, National Institutes for Quantum Science and Technology (QST)
掲載誌:The Plant Journal
DOI:https://doi.org/10.1111/tpj.16955