2026年1月15日
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)
ポイント
- 光合成や光触媒に関わる電子の動きを直接観測する手法が限られていた。
- QSTが軟X線パルスレーザー光源を開発し、酸素K吸収端(540 eV)で電子状態の区別可能な計測に世界で初めて成功。
- 光化学反応の初期過程の解明が可能となり、人工光合成や光触媒の高性能化につながる成果。
概要
量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)関西光量子科学研究所 量子応用光学研究部超高速電子ダイナミクス研究プロジェクトの石井順久上席研究員、圓山桃子主幹研究員、板倉隆二プロジェクトリーダーは、QST独自の高出力レーザー技術を用いて、軟X線 1) パルスレーザー光源(閃光 2))を開発しました。この光源は、「水の窓 3)」全域をカバーし、酸素K吸収端 4)(540 eV)という世界最高エネルギー領域において、電子状態を選別した分光計測を初めて実現しました(図1)。
光合成や太陽電池、光触媒などの光化学反応は、光によって励起された電子の動きによって機能しますが、その電子の挙動を直接観測するにはアト秒 5)(10⁻¹⁸秒)オーダーの閃光が必要です。これまでのアト秒パルス技術は極紫外領域 6)に限られており、酸素原子などの計測には不十分でした。
今回の成果により、水分子や酸化チタンなどに含まれる酸素原子内の電子の「静止画」撮像が可能となり、光照射直後の超高速反応過程の解明に道を開きます。これは、人工光合成や光触媒の高性能化に向けた基礎技術として、今後の応用が期待される重要なマイルストーンです。
本研究は、日本学術振興会「科学研究費助成事業」(JP19H02623, JP24K01390)、科学技術振興機構(JST)「戦略的創造研究推進事業(さきがけ)」(JPMJPR2002)、文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)、次世代アト秒レーザー光源と先端計測技術の開発」(JPMXS0118068681)の助成を一部受けて実施されたもので、アメリカ光学会発行の「Optics Letters」誌(令和8年1月14日付(米国東部))に掲載されました。
図1:極短パルス・軟X線発生の様子(左図)とそのスペクトル(右図、黒線)、および空気を透過させたスペクトル(右図、赤線)。窒素と酸素に固有な鋭い吸収が400 eVと540 eV近傍で同時に計測されました。
研究開発の背景と目的
2023年のノーベル物理学賞が、「アト秒パルスの発生とその時間幅の計測」に関する先駆的な研究を行ったアンヌ・リュイリエ、ピエール・アゴスティーニ、フェレンツ・クラウスの3氏に授与されました。アト秒パルスとは、1秒の10億分の1のさらに10億分の1という極めて短い時間幅を持つ光パルスで、電子の運動を観測するために使われます。特に、アンヌ・リュイリエが行った、高次高調波発生 7)(HHG:High Harmonic Generation)は、レーザー光の周波数を大幅に高くすることができるユニークな現象で、極紫外や軟X線領域でコヒーレント 8)な光源(波がそろった光)を得る手段として注目されています。
従来、アト秒パルスは主に極紫外領域でしか発生できませんでした。なぜならば、HHGに用いられる高強度レーザーが、波長800 nmのチタン・サファイアレーザー 9)に限られていたためです。極紫外領域にはシリコンのL吸収端が存在する一方で、炭素・窒素・酸素などの軽元素のK吸収端や、チタン・マンガン・鉄・銅などの遷移金属元素のL吸収端は軟X線領域に存在します。そのため、極紫外領域のアト秒パルスでは研究対象が限られてきました。軟X線領域では、これらの吸収端近傍の微細なスペクトル構造から、元素の価数(周辺の電子の数)、化学状態、局所構造の対称性など、非常に有益な情報が得られます。このため、HHGを軟X線領域へ拡張する研究が盛んに行われています。
HHGを軟X線領域へ拡張するための最も有力な方法は、レーザー光源の波長を長くすることです。従来のチタン・サファイアレーザー(波長約800 nm)に対し、その約2倍にあたる1600~1800 nmの高強度レーザーを用いたHHGとその応用研究が活発に行われています。
東京大学物性研究所、スペインの光科学研究所、スイス連邦工科大学チューリッヒ校、イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドンなどの研究機関では、チタンのL吸収端(約450 eV)までのX線における吸収端の構造が計測可能になっており、アト秒~フェムト秒の時間分解能を活かして、電子の動きや、分子の振動・回転・解離といった超高速ダイナミクスの解明が進んでいます。さらに、理化学研究所では、レーザーの繰返しを減らして1パルスあたりのエネルギーを増やすことで、光の非線形効果を引き起こす研究を従来の極紫外領域で行っています。現在では、そのスペクトル領域を広げ、炭素のK吸収端近傍での非線形効果を目指した研究が進められています。
一方、「水の窓」と呼ばれる領域の最高エネルギーである酸素K吸収端(約540 eV)での計測は実現されていませんでした。HHGで酸素K吸収端における微細構造を計測するためには、波長約2000 nmの高強度・高出力な赤外レーザー光源が必要であり、現在、世界各国で研究開発が進められています。
研究の内容
酸素K吸収端までの軟X線発生とその分光応用を目指し、QST関西光量子科学研究所では、中心波長2000 nm、パルスエネルギー1.32 mJ、パルス幅19.5フェムト秒、繰り返し周波数5 kHzの出力を持つ光パラメトリックチャープパルス増幅器 10)の開発に成功しました。この増幅器は、研究所が独自に開発したイッテルビウム添加イットリウムアルミニウムガーネット(Yb:YAG)を用いた100 Wクラスの高出力レーザーを励起光源として利用しています。
従来の軟X線HHGに用いられているレーザー光源と比較して、5倍程度高い繰返し周波数を実現しました。軟X線の光量は繰返し周波数に比例して増えるため、高繰返し・高出力の増幅器は、酸素K吸収端におけるX線吸収の高精度な測定に重要な技術要素となっています。
開発した赤外レーザー光源を用いてHHGを行った結果、酸素K吸収端(540 eV)を超える約620 eVまで軟X線スペクトルを拡張することに成功しました(図2)。さらに、この軟X線光源を用いて、炭素、窒素、酸素のK吸収端およびチタンのL吸収端近傍の微細構造の計測にも成功しています(図3)。これは、レーザーを用いたコヒーレント軟X線光源によって、「水の窓」全域でX線吸収端近傍構造の計測を世界で初めて実現した成果です。

図3:水の窓領域における各物質のX線吸収端近傍構造の計測例。赤線:二酸化炭素、黒線:乾燥空気、緑線:チタン、青線:水蒸気。ピーク構造のうち、300 eV、400 eV、450 eV、540 eV近傍のピーク構造は炭素K吸収端、窒素K吸収端、チタンL吸収端、酸素K吸収端に由来するものである。
今後の展開
本研究で開発した軟X線光源を活用した今後の研究展開として、まず挙げられるのは世界最高の光子エネルギー領域でのパルス幅計測です。開発した軟X線光源は、非常に短い時間幅(サブフェムト秒~アト秒程度)を持つと予想されますが、実際にそのパルス幅を測定することは重要な研究課題です。このスペクトル領域でのパルス幅計測はこれまで例がなく、世界で最も高い光子エネルギーの計測となるため、非常に大きなインパクトがあります。
次に、軟X線光源の応用として期待されるのが、電子ダイナミクスの計測です。従来、軟X線光源としてはナノテラス 11)をはじめとする放射光光源が長年利用されてきましが、放射光光源はパルスの持続時間が長いため、物質の超高速ダイナミクスを直接観測することは困難でした。一方、レーザーを用いた軟X線光源は、発生原理によりアト秒レベルの閃光を生成できるため、この特性を活かして、電子の動きを実時間で追跡することが可能です。
研究の意義
本成果は、炭素イオンを用いる重粒子線がん治療に必要なエネルギー(約5 ギガ電子ボルト)に向けて大きな進歩を踏み出したと言え、重粒子線がん治療装置の大幅な小型化につながる。また、本成果で得られた高エネルギー炭素イオンを含むプラズマは、直接観測が難しい宇宙におけるプラズマ状態などを実験的に再現できる可能性がある。特に、超新星残骸9)近傍のプラズマ状態を模擬し、これまで困難であった、プラズマの磁気エネルギーが、加速されるイオンの運動エネルギーに変換される様子を再現することで、宇宙線加速の未解決問題10)の解明につながることが期待される。
例えば、水や酸化物などの試料に可視光や紫外光を照射して非平衡状態を作り、その後に軟X線の探査光を照射することで、酸素原子近傍の電子ダイナミクスの各時刻の静止画を、可視光や紫外光の照射後の時間を変えつつ計測することで、どのような挙動を示しているのかを観測することが可能になります。さらに、本光源は酸素K吸収端に限らず、炭素・窒素のK吸収端、チタン・バナジウム・クロムのL吸収端も同時にカバーできるため、幅広い元素の電子状態解析が可能です。
電子の運動をリアルタイムで観測することで、光照射後のごく初期の過程の解明が進み、光合成や光触媒の高性能化等、重要な応用につながることが期待されます。
また、放射光光源は、例えばナノテラスの大きさである約60,000平方メートルなど大規模施設を必要とします。一方で、レーザー軟X線光源自体の大きさは約50平方メートルで中規模な実験設備で、利用研究の加速が見込まれます。
レーザー軟X線光源は高い時間分解能を有する一方で、ナノテラスなどの放射光は高いスペクトル輝度や狭帯域性を特徴としています。両者は異なる特性を持ち、今後の短波長域における分光手法の発展において相補的な役割を果たすことが期待されます。
用語解説
1)軟X線
軟X線は、定義に多少の違いがありますが、波長が10 nm(光子エネルギー:約124 eV)より短いX線のうち、波長が比較的長く(0.1~10 nm)、光子エネルギー(約12.4 keV ~ 124 eV)が低いX線を指します。多くの物質に吸収されるため、真空中で利用されることが多く、軽元素や遷移金属元素の検出や電子状態や化学状態の分析などに利用されます。
2)閃光
ごく短い時間だけ光る光で、パルス光やストロボ、フラッシュとも呼ばれます。写真撮影に使われる発光光源が良く知られています。発光時間よりも遅い動きを止めて撮影することで、静止した画像を記録することが可能になります。
3)水の窓
炭素K吸収端(光子エネルギー:約280 eV)と酸素K吸収端(約540 eV)の間に位置するスペクトル領域を指します。この領域には、窒素K吸収端(約400 eV)も含まれており、生体を構成する上記3元素の同定が可能になります。水分子はこの領域の軟X線をほとんど吸収しない一方、炭素原子は強く吸収するため、水和した生体分子を直接観測できます。このため、化学や生物学において極めて重要です。
4)酸素K吸収端
酸素K吸収端とは、酸素原子の最も内側の電子軌道(K殻)の電子が軟X線を吸収して束縛状態を離れる際に、吸収量が急激に増加する「X線吸収の閾値」です。この近傍のスペクトルの微細構造から、酸素原子の価数、化学状態、局所構造の対称性などの情報が得られます。同様に、遷移金属のL吸収端とは、チタン・マンガン・鉄・銅などの原子で、2番目に内側の電子軌道(L殻)の電子が光を吸収して束縛状態を離れる際に、吸収量が急激に増加する閾値です。
4)アト秒
アト秒は1.0 x 10-18秒です。1アト秒と1秒の比は、1秒と約317億年(宇宙の年齢の2倍)に相当します。水素原子の1S軌道を電子が一周する時間は約150アト秒であり、物質中での電子ダイナミクスの典型的な時間スケールは数百アト秒から数フェムト秒になります。
5)極紫外領域
極紫外線(または極端紫外線)は、定義に多少の違いがありますが、一般的には波長100 nm(光子エネルギー:約12.4 eV)から波長10 nm(約124 eV)までの電磁波です。極紫外線は、シンクロトロン光源、プラズマ、高次高調波発生などによって人工的に生成され、光電子分光の光源や半導体の露光光源として広く利用されています。
6)高次高調波発生(HHG:High Harmonic Generation)
高強度レーザーを真空中の貴ガスセルに集光すると、物質の非線形応答によって入射レーザーの奇数倍の周波数を持つ光が発生します。これを高次高調波発生と呼び、発生した光は時間的・空間的にコヒーレントであり、可視光の一周期より短いアト秒パルスを発生可能となるため、超高速現象の観測に利用されています。
7)コヒーレント光源
波の位相と振幅が揃った電磁波(光)を発生する光源で、代表例はレーザーです。コヒーレント光は時空間において干渉性が高く、時間領域では非常に短い光パルスを発生可能で、空間領域では極めて狭い領域に集光できます。
8)チタン・サファイアレーザー
サファイア結晶にチタンを添加したレーザー媒質を用いたレーザー光源です。波長約800 nmの近赤外領域で発振し、典型的には数十フェムト秒のパルス幅で1 mJ以上の出力を得られます。高次高調波発生やアト秒パルス発生に広く利用されている、主要な超短パルスレーザーです。
9)光パラメトリックチャープパルス増幅器
反転対称性を持たない光学結晶中で、複数の光波が非線形に結合し、エネルギーを交換することで光を増幅する手法です。従来のレーザー増幅とは異なり、結晶の角度や入射波長を調整することで、広帯域スペクトルの増幅や波長可変な増幅が可能となります。特に、結晶の損傷を防ぐため、入射する光パルスの時間幅を一度広げてから増幅し、その後再び圧縮する手法を組み合わせたものを「光パラメトリックチャープパルス増幅器」と呼びます。
10)ナノテラス(NanoTerasu)
東北大学内に設置された、軟X線領域に強みを持つ3 GeV高輝度放射光施設です。国内で最も新しい放射光施設であり、東北地方以北では唯一の放射光施設でもあります。QSTは、官民地域パートナーシップのもと、地域パートナーの代表機関である一般財団法人光科学イノベーションセンターとともに、施設の整備・運営を推進しています。
掲載論文
タイトル:Soft x-ray high harmonic generation using an infrared light source and its application to the measurements of x-ray absorption near edge structure at the oxygen K edge,
著者:Nobuhisa Ishii*, Momoko Maruyama, Ryuji Itakura
責任著者所属:Kansai Institute for Photon Science, National Institutes for Quantum Science and Technology (QST), Kizugawa, Kyoto, Japan
雑誌名: Optics Letters
DOI: 10.1364/OL.579282
