発表のポイント
- 放射線を長期間かけて(低い線量率で)被ばくさせたラットで、乳がんがどのくらい発生するかを調べた。
- 合計の被ばく線量が同じでも、線量率を下げた場合は、乳がんリスクが増えたかどうかが見えなくなった。
- 線量率を低くした場合のリスクの下がり方に年齢差があり、大人の方が子どもより下がり方が大きいことを、世界で初めて明らかにした。
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫。以下「量研」という。)放射線医学総合研究所 放射線影響研究部の柿沼志津子部長、今岡達彦チームリーダーらは、低線量率放射線被ばく後の発がん影響と線量率の関係を、動物実験によって明らかにしました。
じわじわとした(=線量率※1が低い)被ばくの場合、合計の線量が同じ急激な(=線量率が高い)被ばくと比べて、体への影響は一般的に少なくなります。乳腺は、線量率の高い被ばくによってリスクが増加することが知られていますが、線量率の低い被ばくの影響を調べた研究は、ほとんどありませんでした。どのくらい線量率が低ければ影響が小さくなるのか、子どもでも大人と同様に小さくなるのかについても、わかっていませんでした。
本研究では、放射線被ばく後のがんリスクがもっとも高い臓器の一つである乳腺に注目し、線量率や合計の線量と発がんへの影響の関係を詳しく調べました。そのため、さまざまな線量率で放射線(セシウム137ガンマ線)をラットに照射して、長期にわたる乳がんの発生を観察しました。その結果、合計の線量が同じ(4グレイ=4,000ミリグレイ※2)でも、線量率が毎時60ミリグレイでは乳がんの発生が明確に増加しましたが、毎時24ミリグレイ以下ではほとんど増加しませんでした。また、大人と子どものラットに対する低線量率被ばくの影響を比較すると、大人の方が影響は小さいことが確認されました。
今後、他の臓器を対象に同様の研究を展開していくことで、低線量率被ばくの影響の年齢差の全容が明らかになることが期待されます。この成果は、放射線影響分野で重要な論文が数多く発表されている米国の学術誌「Radiation Research」2018年12月13日にオンライン掲載されました。また文部科学省科学研究費補助金JP15H02824の援助を一部受けています。
背景と目的
放射線に被ばくするとがんリスクが増加する場合があるため、放射線から人を防護するための様々な基準が設けられています。これらの被ばくの基準は、主に原爆に被爆された方々を調査して得られた科学的知見をもとに作られています。しかし、日常では「じわじわ」と被ばくする(=線量率が低い)ことが多く、原爆の放射線のように急な(=線量率が高い)被ばくとは異なります(図1)。
一般に、線量率が低い場合は、体への影響は少なくなることが知られています。乳腺は、線量率の高い被ばくによってリスクが増加することが知られていますが、線量率の低い連続的な被ばくによる乳がんリスクへの影響については、知見が多くありませんでした。
また、原爆被爆者の研究では、思春期前後に高線量率で被ばくした場合の乳がんリスクの増加が、大人になってから被ばくした場合と比べて高いことが、報告されています。しかし、線量率が低い場合のリスクも思春期前後の被ばくによって高くなるかどうかは、よくわかっていませんでした。
図1 被ばくの線量率とがんリスク
ラットは、マウスよりも人間の乳がんに病理学的に似たがんを発症するモデル動物として、研究に用いられています。本研究では、ラットを用いて、線量率が低い被ばくが乳がんのリスクに及ぼす影響や、その年齢による違いを調べました。
研究の手法と成果
本研究では、まず、成体(7週齢※3)のラットに合計4グレイのセシウム137ガンマ線を、毎時3ミリグレイから毎時60ミリグレイまでのさまざまな線量率で照射しました。比較のために照射しないラットも用意し、それらを90週齢まで長期間観察して、乳がんの発生を調べました(図2)。
図2 様々な線量率の影響を調べる実験
合計4グレイを、7週齢のラットに様々な線量率で連続照射した。比較の
ため、合計4グレイを急照射した13週齢のラットと、照射しないラット
も用意した。右は照射実験のイメージ図。
mGy = ミリグレイ。Gy = グレイ。
その結果、毎時60ミリグレイで照射した後には乳がんのリスクが明らかに増加しましたが、毎時24ミリグレイ以下で照射した後には、ほとんど増加が見られませんでした(図3左)。
乳腺の良性腫瘍は、命をおびやかす病気ではありませんが、手術が必要になるなど、生活の質を下げる要因になります。そこで同じ実験で乳腺の良性腫瘍※4が発生するリスクも調べましたが、こちらは線量率の増加にしたがって徐々に増加しました(図3右)。
乳腺には、母乳を作るという機能を担う細胞(分化の進んだ細胞)と、その元になる細胞を増やす細胞(未分化で増殖性の細胞)がありますが、乳がんは分化度の低い細胞から、良性腫瘍は分化がより進んだ細胞から、発生すると考えられています。今回のことから、線量率が低い被ばくの場合に、ラットの乳がんの元になる細胞をがん化から守る何らかのメカニズムがあり、このメカニズムは良性腫瘍に対しては働きにくいことが示唆されます。
図3 様々な線量率で照射した後のラットの乳がんリスク
mGy = ミリグレイ。*** P < 0.001、** P < 0.01(非照射群と比較し
て)縦棒は95%信頼区間(かっこ内の数値は上限値)。
また、思春期前後(3~7週齢)及び成体(7~15週齢)のラットに、上記の実験では乳がんリスクをほとんど増加させなかった毎時6ミリグレイの線量率で、合計1~8グレイの放射線を連続照射し、対応する時期の急照射の結果と比較しました(図4)。
図4 思春期前後あるいは成体における、連続照射および急照射の実験
連続照射を思春期前後あるいは成体で行い、対応する時期の急照射も行
った。(3及び7週齢の急照射は過去のデータ)Gy = グレイ。
その結果、毎時6ミリグレイの連続照射を思春期前後に受けた後の乳がんのリスクは、成体期に受けた場合のリスクと比べ、高いことがわかりました(図5上)。急照射の場合のリスクは、年齢によってほとんど違いがありませんでした(図5下)。連続照射の影響(図5の直線の傾き)は、急照射と比較して、思春期前後では半分程度、成体では9分の1程度でした。
図5 思春期前後と成体のラットに毎時6ミリグレイで
様々な線量を照射した後の
乳がんリスク(上)と、急照射を行った後のリスク(下)
Gy = グレイ。*** P < 0.001、** P < 0.01、*** P < 0.001(非照射群
と比較して)。縦棒は95%信頼区間(かっこ内の数値は上限値)。
今後の展開
今後、乳腺以外の臓器についても同様の手法による研究を展開していくことで、低線量率被ばくによる発がん影響の年齢差の全容解明が期待されます。
また、一つの動物実験の結果をそのまま、現実の原子力や放射線の規制に持ち込むことはできませんが、専門家による国際組織が、動物実験を含む数多くの研究論文を検討、評価することで、放射線規制が作られています。今回のような動物実験の結果も、原子力や放射線の規制の基礎となる知見となることが期待されます。
用語解説
※1 線量率
時間あたりに与えられる放射線の量。合計の線量を「距離」に例えると、線量率は「速度」に対応する。
図6 いろいろな放射線の線量率
(「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料 平成29年度
版」、Rühm et al. J Radiat Res 59(S2):ii1-ii10、「放射線リスク・防
護研究基盤準備委員会報告書」等を参考)
※2 グレイ(Gy)
物に吸収される放射線の量を表す物理的な量。1グレイ(Gy)=1000ミリグレイ(mGy)。人体のガンマ線全身均等被ばくの場合は、1グレイは1シーベルトと同じ。シーベルトは人体への被ばくの影響の大きさを表すように調整された量の単位であり、放射線影響の研究ではグレイを用いるのが普通である。
※3 ラットの週齢
ラットの週齢をヒトの年齢と対応させるのは難しいが、3週齢は離乳後で性成熟が始まっていないという意味でヒトの就学前くらい、7週齢は乳腺が発達過程にあるという意味でヒトの中高生くらい、13週齢は安定して生殖可能であるという意味でヒトの20代くらいだと考えることができる。
※4 良性腫瘍
病理学的に悪性所見を持たない腫瘍であり、周囲への浸潤や別の臓器への転移を起こさずにゆっくり増殖する。大きさや発生部位によって症状が出ることもあるが、命に関わることはほとんどない。これに対し、がんは悪性腫瘍であり、活発に増殖して浸潤や転移を起こし、命に関わることが多い。
掲載論文
Tatsuhiko Imaoka, Mayumi Nishimura, Kazuhiro Daino, Ayaka Hosoki, Masaru Takabatake, Yukiko Nishimura, Toshiaki Kokubo, Takamitsu Morioka, Kazutaka Doi, Yoshiya Shimada, Shizuko Kakinuma. Prominent Dose Rate Effect and Its Age Dependence of Rat Mammary Carcinogenesis Induced by Continuous γ-Ray Exposure. Radiation Research (in press)