要点
- 電荷移動、極性−非極性転移の2つの負熱膨張を実現
- 通信や半導体分野で利用できる熱膨張しない新たな物質の開発に道
概要
東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所の酒井雄樹特定助教(神奈川県立産業技術総合研究所常勤研究員)、東正樹教授、Hena Das(ダス・ヘナ)特任准教授らの研究グループは、ニッケル酸ビスマス(BiNiO3)とニッケル酸鉛(PbNiO3)の固溶体(用語1)が、組成に応じて金属間電荷移動(用語2)と、極性−非極性転移(用語3)という、2つの異なるメカニズムで、温めると縮む負熱膨張(用語4)を示すことを発見した。
負熱膨張材料は光通信や半導体製造装置など精密な位置決めが求められる局面で、構造材の熱膨張を打ち消した(キャンセルした)ゼロ熱膨張物質を作製するのに使われる。
研究成果は5月29日に米国化学会誌「Chemistry of Materials(ケミストリー・オブ・マテリアルズ)」のオンライン版に掲載された。
研究グループには東工大の西久保匠、尾形昂洋、石崎颯斗、今井孝、横山景祐の大学院生5名と沖本洋一准教授、腰原伸也教授、高輝度光科学研究センターの水牧仁一朗主幹研究員、早稲田大学の溝川貴司教授、量子科学技術研究開発機構の綿貫徹次長、町田晃彦上席研究員が参加した。
研究の背景
ほとんどの物質は温度が上昇すると、熱膨張によって長さや体積が増大する。光通信や半導体製造などの精密な位置決めが要求される局面では、このわずかな熱膨張が問題になる。そこで、昇温に伴って収縮する“負の熱膨張”を持つ物質により、構造材の熱膨張を補償(キャンセル)することが試みられている。
これまでに、反強磁性転移(用語5)、電荷移動、強誘電転移(用語6)などの相転移が負熱膨張の起源となることがわかってきた。しかしながら、1つの材料系が複数のメカニズムによる負熱膨張を示す例はなかった。
ニッケル酸ビスマスは「Bi3+0.5Bi5+0.5Ni2+O3」という特徴的な電荷分布を持つペロブスカイト型酸化物(用語7)である。ビスマスの一部を希土類元素やアンチモン、鉛で、またはニッケルの一部を鉄で置換すると、昇温によってBi5+とNi2+の間で電荷の移動が起こるようになり、ニッケルが2価から3価に酸化される。この際、ニッケルと酸素の間の結合が収縮するため、結晶格子全体が約3%縮む。一方、代表的な強誘電体であるPbTiO3(チタン酸鉛)では、極性の構造を持つ強誘電相から非極性の常誘電相への転移に伴い、約1%体積が収縮することが知られている。
研究成果
東教授らは今回、ニッケル酸ビスマスとニッケル酸鉛の固溶体「Bi1-xPbxNiO3」を作成し、第一原理計算(用語8)、第二高調波発生(用語9)、大型放射光施設SPring-8(用語10)のビームラインBL02B2での放射光X線回折実験(用語11)、BL22XUでの放射光X線全散乱データPDF解析(用語12)、そしてBL09XUとBL47XUでの硬X線光電子分光実験(用語13)を組み合わせて、結晶構造と電子状態変化を詳細に解析した。
その結果、0.05 ≤ x ≤ 0.25ではビスマスとニッケル間の電荷移動によって、0.60 ≤ x ≤ 0.80ではPbTiO3と同様、極性から非極性の結晶構造転移によって、それぞれ負熱膨張が起こることがわかった。また、x = 1.0に対応するニッケル酸鉛は、これまで電気分極を持たない非極性の化合物だと考えられていたが、今回の研究で、PbTiO3の強誘電相同様、極性の結晶構造をしていることが明らかになった。
図1:Bi1−xPbxNiO3の負熱膨張メカニズム。0.05 ≤ x ≤ 0.25ではサイト間電荷移動により(上図)、
今後の展開
今回の成果では、一つの材料系で、電荷移動、極性−非極性構造転移という、異なるメカニズムでの負熱膨張が実現した。これは、4価を持つ鉛イオンの働きによると考えられ、今後の負熱膨張材料の設計指針構築につながると期待される。
付記
本研究の一部は、地方独立行政法人神奈川県立産業技術総合研究所・有望シーズ展開事業「次世代機能性酸化物材料プロジェクト」(リーダー・東正樹)との共同研究であり、文部科学省・科学研究費助成事業・基盤研究A「ビスマス・鉛ペロブスカイトのs-d軌道間電荷分布変化解明と巨大負熱膨張への展開」(代表・東正樹東京工業大学教授)、特別推進研究「光と物質の一体的量子動力学が生み出す新しい光誘起協同現象物質開拓への挑戦」(代表・腰原伸也東京工業大学教授)、Tokyo Tech World Research Hub Initiativeの援助を受けて行った。
用語説明
(1)固溶体:複数の化合物が均一に溶け合って、単相の化合物を形成した固体。
(2)電荷移動:二つのイオンの間で電子の受け渡しが生じ、それぞれの価数が増減すること。
(3)極性−非極性転移:陽イオンと負イオンの重心がずれるため生じる電荷の偏りである電気分極を持つ結晶構造(極性構造)から、電気分極のない結晶構造への転移。
(4)負熱膨張:通常、物質は温めると体積や長さが増大する。これを正の熱膨張という。しかし、一部の物質は、温めることで可逆的に収縮する負熱膨張の性質を持っており、これはゼロ熱膨張材料を開発するうえで重要となる。
(5)反強磁性転移:磁気モーメントを互いに打ち消す様に、イオンが持つ小さな磁石であるスピンが揃うこと。
(6)強誘電転移:誘電体(絶縁体)の一種で、外部電場がなくとも電気分極の方向が揃っており、外部電場によってその方向が変化する強誘電体と、電気分極を持たない常誘電体の間の転移。
(7)ペロブスカイト型酸化物:一般式ABO3で表される元素組成を持った金属酸化物の代表的な結晶構造。
(8)第一原理計算:経験によらず、量子力学の基本原理に立脚して、物質の結晶構造や電子状態を予測する理論計算。
(9)第二高調波発生:極性の結晶構造を持つ物質にある波長の光を入射すると、半分の波長の光が放出されること。
(10)大型放射光施設SPring-8:兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来する。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジー、産業利用まで幅広い研究が行われている。
(11)放射光X線回折実験:物質の構造を調べる方法。放射光X線を試料に照射し、回折強度を調べることで結晶構造(原子の並び方や原子間の距離)を決定する。
(12)放射光X線全散乱データPDF解析:乱雑に配列した原子の並び方を解明する方法。上記X線回折に加えて、乱雑に配列した原子によって広く散乱されるX線強度までを併せて解析する。
(13)硬X線光電子分光:4keV以上の高いエネルギーをもつ X線である、硬X線を物質に入射し、そこから放出される光電子の個数とエネルギーの関係を調べることにより、物質内部の電子構造を調べる実験的手法。従来の真空紫外光や軟X線を用いた光電子分光は表面近傍の情報しか得られなかったが、硬X線で励起することにより、固体内部の電子構造を調べることが可能になった。
論文情報
掲載誌:Chemistry of Materials
タイトル:Polar-nonpolar phase transition accompanied by negative thermal expansion in perovskite-type Bi1−xPbxNiO3
著者:Yuki Sakai, Takumi Nishikubo, Takahiro Ogata, Hayato Ishizaki, Takashi Imai, Masaichiro Mizumaki, Takashi Mizokawa, Akihiko Machida, Tetsu Watanuki, Keisuke Yokoyama, Yoichi Okimoto, Shin-ya Koshihara, Hena Das and Masaki Azuma
DOI:10.1021/acs.chemmater.9b00929