発表のポイント
- 頭部外傷1)から長期間経過した後に進行性の脳障害が引き起こされることがあり、コンタクトスポーツや頭部外傷のリスクを伴う職業の従事者に大きな懸念をもたらしている
- 本研究は、頭部外傷の遅発性脳障害を引き起こす原因となる脳内タウタンパク質2)を様々なタイプの頭部外傷患者の生体内で捉えることに成功し、タウ蓄積量が頭部外傷による遅発性脳障害の症状に関連することを初めて明らかにした
- タウを生体で可視化する技術は、頭部外傷による遅発性脳障害の早期診断や治療法の開発への活用が期待される
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」)量子医学・医療部門放射線医学総合研究所脳機能イメージング研究部の高畑圭輔研究員は、慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室の三村將教授らとの共同研究により、頭部外傷により引き起こされる遅発性脳障害の原因である脳内タウタンパク質(以下「タウ」)の蓄積を様々なタイプの頭部外傷患者の生体内にて可視化することに成功しました。さらに、脳内のタウ蓄積量が頭部外傷による遅発性脳障害の症状の発現および重症化に関連していることを明らかにしました。
頭部外傷とは、頭部に物理的な衝撃が加わることによって生じる様々な症状の総称です。ボクシングと言ったコンタクトスポーツなどによる頭部への反復性の打撃や重度の頭部外傷は、数年〜数十年後に進行性の神経変性疾患3)を引き起こすことがあり、「遅発性脳障害」と呼ばれています。死後脳を用いた神経病理学的検査により、頭部外傷による遅発性脳障害は脳内にタウが過剰に蓄積するタウオパチー4)の一種であることが分かっています。
現在、頭部外傷による遅発性脳障害は、各国で極めて深刻な社会問題となっています。その最大の理由は、これまで遅発性脳障害を引き起こすタウの蓄積を生体内で検出する技術が存在しなかったために存命中に診断することが不可能であるという点にあります。そのため、遅発性脳障害に対する早期介入の実現が困難となり、治療法の開発に向けた取り組みにおいても大きな障壁となっていました。また、かつて遅発性脳障害はコンタクトスポーツの中でも頭部に激しい打撃を受けるボクサーなどのみに引き起こされるものと信じられていましたが、近年の報告によれば、アメリカンフットボールや格闘技など、従来考えられていたよりもはるかに多くのコンタクトスポーツで引き起こされるという事実が明らかにされています。
こうした問題は、コンタクトスポーツや頭部外傷のリスクを伴う職業に従事する方達に大きな懸念をもたらしています。このような経緯から、研究グループは、頭部外傷によって引き起こされる遅発性脳障害の原因となる脳内タウの蓄積を生体内で捉える診断技術の開発に向けた研究を開始しました。
本研究では、量研で開発した生体脳でタウを可視化するポジトロン断層撮影(PET)5)技術を用いて、頭部外傷により遅発性脳障害を発症した可能性のある方々の脳内のタウ蓄積量を非侵襲的に測定しました。その結果、様々なタイプの頭部外傷でタウの蓄積を生体内で捉えることに成功しました。さらに、脳の灰白質6)との境界部に近接する白質7)の表層部のタウ蓄積が遅発性脳障害の症状に関連していること、白質全体のタウ蓄積量が多ければ多いほど精神症状が重症化するという関係性があることを明らかにしました。これらの成果は、PET技術により捉えた生体脳におけるタウ蓄積が遅発性脳障害の早期診断のための評価指標になり得ることを示すものであり、将来的に、遅発性脳障害におけるタウ蓄積を標的とする治療法の開発に寄与することが期待されます。
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクトにおける研究開発課題「脳老化病態カスケードのトランスレータブルなイメージングとメカニズム制御の研究開発」の支援を受けて実施されました。この他にも、AMEDの同プロジェクトにおける研究開発課題「精神疾患の神経回路-分子病態解明とモデル化」、認知症研究開発事業における研究開発課題「タウを標的とする新規画像診断法と治療法の研究開発コンソーシアム構築」、JSPS科研費16K19789などの支援を受けて本研究は行われ、当該分野においてインパクトの大きい論文が数多く発表されている英国の学術誌「Brain」のオンライン版に2019年9月2日(月)9:01(日本時間)に掲載されます。
研究開発の背景
近年、世界各国で頭部外傷の発生数が増加しています。2014年の米国の報告では、年間約280万件の頭部外傷が発生しているとされています。我が国における正確な発生数は不明ですが、年間で約30万件の頭部外傷が発生していると推測されています。頭部外傷は主に交通事故や転落などによって引き起こされ24時間以上の意識消失をともなう「重度頭部外傷」と、ボクシングやアメリカンフットボールなどのコンタクトスポーツによって引き起こされ意識消失はあっても短時間にとどまる「軽度頭部外傷(脳しんとう)」に分類されます。
頭部に打撃を受けると、受傷後の時期によって様々な症状が出現します(図1)。こうした多彩な症状の中でも、近年、大きな問題になっているのが、頭部への受傷から年月が経過して引き起こされる遅発性脳障害です。
頭部外傷によって引き起こされる代表的な遅発性脳障害として、引退したボクシング選手に進行性の認知機能障害や精神症状が出現する「ボクサー脳症」の存在が約1世紀前から知られています。ボクサー脳症は、激しい打ち合いを長年にわたって行ったボクサーに認知機能低下や人格変化などの精神症状が出現する疾患であり、引退したボクサーに深刻な問題をもたらします。しかしながら、現代の医学ではボクサー脳症の発症を存命中に確実に診断する方法は存在せず、症状から推察するより他ありません。そのため、遅発性脳障害に対する早期介入の実現も困難となり、治療法の開発に向けた取り組みにおいても大きな障壁となっていました。
図1 頭部外傷によって引き起こされる症状
頭部外傷は、受傷後に様々な症状(灰色に白文字)を引き起こす。
その中でも、晩発期(受傷から数年〜数十年後)に生じる遅発性脳障害(紫に白文字)が問題となっている。
かつて、頭部外傷による遅発性脳障害は、主にボクシング選手に限定して引き起こされるものと考えられていました。しかし、今世紀初頭から米国を中心とする一連の報告により、ボクサー脳症に類似した遅発性脳障害がアメリカンフットボール選手、アイスホッケー選手、退役軍人など、従来考えられていたよりも幅広いスポーツや職業によって引き起こされることが明らかにされました。特に米国では、現役時代に度重なる脳しんとうを受けたNFLの選手が引退後に認知機能低下や精神症状を呈するようになり、死後に脳を調べたところタウの蓄積が多量に認められたことが社会的に問題視され、病態を明らかにする道のりを克明に描写した映画「コンカッション」(2015年)が公開されました。その後もサッカーやラグビーなど様々なスポーツで遅発性脳障害が引き起こされたことが報告されていますが、いずれのケースも脳内にタウが過剰に蓄積するタウオパチーであるという共通点を有していました。そのため、かつてボクサー脳症と呼ばれていた遅発性脳障害は、現在では慢性外傷性脳症(chronic traumatic encephalopathy: CTE)8)と呼ばれています。
最近、米国で元NFLプレーヤーを対象にPETを用いて脳内のタウ蓄積の可視化が実施され、遅発性脳障害に対する診断の一助となることが、New England Journal of Medicineで報告され、社会的に大きな反響を呼びました。しかしながら、アメリカンフットボール以外の大多数のコンタクトスポーツの選手でも同様にPETによる遅発性脳障害の診断が可能なのかどうかは不明のままでした。実際に、近年の死後脳を用いた研究では、反復性軽度頭部外傷だけでなく、交通外傷や転落、爆風による脳損傷などの重度頭部外傷でも慢性外傷性脳症と同様の神経病理所見が出現することが死後脳を用いた研究で報告されています。
そこで本研究は、ボクシングだけでなくレスリングや格闘技などのコンタクトスポーツに従事していた方に加え、交通外傷や転落による重度頭部外傷の既往のある方など、幅広いタイプの頭部外傷の既往をもつ方々の協力を得て、これらの方々に対して、量研が開発した生体脳でタウを可視化するPET検査を行い、脳内のタウ蓄積量を測定しました。
研究の手法と成果
本研究では、頭部外傷患者(27名)と同年代の健常者15名の協力により得られたデータを解析の対象としました。頭部外傷の患者は慶應義塾大学病院およびその関連施設にて募集し、健常者は量研のボランティア募集システムを介して募集しました。
頭部外傷の患者群はコンタクトスポーツ(ボクシング、レスリング、格闘技など)による反復性軽度頭部外傷と交通事故や転落による重度頭部外傷の方が含まれ、最初の受傷からの期間は平均して約21年でした。また、操作的診断基準9)に基づいた評価により、頭部外傷の患者群の約半数(14名)が遅発性脳障害の症状を有すると診断されました。
これらの方々を対象に、量研が開発したイメージング剤11C-PBB310)を用いたPET検査により、脳内の各領域におけるタウの蓄積量を調べました。その結果、頭部外傷患者では脳内の灰白質(側頭葉、後頭葉)や白質(前頭葉、側頭葉、後頭葉)などの脳部位にタウ蓄積が認められました(図2)。タウの蓄積量は、反復性軽度頭部外傷と重度単発頭部外傷患者で差はありませんでした。
図2 代表的な頭部外傷患者におけるタウ蓄積
11C-PBB3 PETで調べた結果、頭部外傷患者においては、健常者と比較して、
脳の広範囲にタウが蓄積していた。色のついているところがタウ蓄積のある
部位であり、タウの量は図中のスケールバーの通り少(青色)→多(赤色)
で示される。
次に頭部外傷患者を、遅発性脳障害による症状の有無により二群に分けて比較を行いました。その結果、遅発性脳障害の症状をもつ群は、そうでない群に比べて大脳の白質においてより多くのタウ蓄積を認めることが明らかとなりました(図3)。特に、灰白質との境界に接する白質表層部においてより多くのタウ蓄積が認められたことは、これまでに報告されてきた神経病理学的知見とも一致する結果です。
図3 遅発性脳障害の症状の有無で比較したタウ蓄積量
遅発性脳障害の症状を持つ頭部外傷患者においては、症状のない患者と比較して、
タウ蓄積量が増加していた。
さらにタウ蓄積と各種の臨床症状との関連を調べました。その結果、白質のタウ蓄積量が多いほど、幻覚や妄想などの精神病症状が重度となる傾向が明らかになりました(図4)。
図4 脳内タウ蓄積量と遅発性の精神症状との関連
白質のタウ蓄積量が多いほど精神病症状が重度となっている(r=0.46)。
11C-PBB3が頭部外傷によって引き起こされた脳内タウ沈着物に結合していることを確認するために、今回PET検査を行った症例とは異なる、すでに亡くなっている慢性外傷性脳症患者の脳標本を用いて、脳内のPBB3結合と脳病理の関連を検討しました。その結果、慢性外傷性脳症患者の脳内に蓄積したタウの凝集体にPBB3が結合していることが確認されました(図5)。
図5 死後脳におけるタウ蓄積とPBB3集積
側頭葉の脳溝深部の血管周囲に著名なタウ蓄積が認められる(A)。
PBB3(B)とタウ免疫抗体(C)を染色した画像を重ね合わせて拡大すると同じ部位が
染色されていることが分かる(D)。
今後の展開
本研究の成果は、頭部外傷による遅発性脳障害の可能性がありながら、それと気づかないまま症状に困り、不自由な生活を余儀なくされている方が、病院を受診するきっかけとなり、早期介入につながることが期待されます。
本研究の結果は、脳内のタウ蓄積が遅発性脳障害の精神症状に関与していることを幅広いタイプの頭部外傷で初めて示しただけでなく、量研が独自に開発したイメージング剤を用いた脳内のタウ蓄積の評価が、多様な頭部外傷により生じた遅発性脳障害の客観的指標になり得ることを世界に先駆けて明らかにしたものです。アルツハイマー病などの認知症では、タウ蓄積を標的とした根本的な治療薬の開発が進められ、複数の臨床試験も実施されており、頭部外傷後の遅発性脳障害を早期に診断することが可能となれば、こうした新しい治療法を適用できるようになると見込まれます。
今回の成果を受けて、現在我々は遅発性脳障害の診断精度を高めるために生体内のタウを可視化するためのイメージング剤の改良を進める研究を行っています。また、PETの所見と死後脳の検査結果とを直接比較する画像病理相関による検証を行うことで、頭部外傷による遅発性脳障害の診断精度を向上させることが期待できます。こうした取り組みにより、頭部外傷による遅発性脳障害に対する治療法の開発を加速させたいと考えています。
このプレスリリースは『Brain』のオンライン版に掲載される「Takahata K, et al. PET-detectable tau pathology correlates with long-term neuropsychiatric outcomes in patients with traumatic brain injury (邦題:頭部外傷患者の遅発性症候の背景病態に関するタウイメージング製剤[11C]PBB3を用いたPETによる検討)」に基づいて作成されています。
用語解説
1)頭部外傷
頭部外傷とは、頭部に物理的な衝撃が加わることによって生じるさまざまな症状の総称である。日本では年間に30万件、米国では280万件発生しているとされる。頭部外傷の原因としては交通事故が最も多く、他に転落、スポーツや労働による脳しんとうなどがある。重症度から、24時間以上の意識消失を伴う重度頭部外傷、あるいは意識消失を伴わないかあっても短時間にとどまる軽度頭部外傷などに分類される。
2)タウタンパク質
神経系細胞の骨格を形成する微小管に結合するタンパク質。細胞内の骨格形成と物質輸送に関与している。アルツハイマー型認知症をはじめとする様々な精神神経疾患において、タウが異常にリン酸化して細胞内に蓄積することが知られている。
3) 神経変性疾患
脳や脊髄にある特定の神経細胞が徐々に障害を受け、脱落してしまう病気。アルツハイマー病やパーキンソン病に加え、頭部外傷によって引き起こされる慢性外傷性脳症も含まれる。タウやアミロイドなどのタンパク質が脳内に過剰に蓄積することが知られている。
4)タウオパチー
微小管結合タンパク質の一つであるタウタンパク質が過剰にリン酸化され、不溶性の凝集体として神経細胞やグリア細胞内に異常に沈着する疾患をタウオパチーという。代表的なタウオパチーであるアルツハイマー病では、リン酸化タウが細胞内で凝集して不溶性の凝集体として細胞内に異常に沈着した神経原線維変化が認められる。他に、進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、ピック病、嗜銀顆粒性認知症、神経原線維型老年認知症、慢性外傷性脳症(ボクサー脳症)などがタウオパチーに含まれる。
5)PET
陽電子断層撮影法(Positron Emission Tomography)の略称。身体の中の生体分子の動きを生きたままの状態で外から見ることができる技術の一種。特定の放射性同位元素で標識したPET薬剤を患者に投与し、PET薬剤より放射される陽電子に起因するガンマ線を検出することによって、体深部に存在する生体内物質の局在や量などを三次元的に測定できる。
6)灰白質
灰白質は、脳や脊髄において神経細胞の細胞体が多数集まる部位である。灰白質は脳の表層部に位置している。灰白質という名前は、脳の断面を肉眼的に観察した際に灰色がかって見えることに由来している。
7)白質
白質は、脳や脊髄において、神経細胞から出た神経線維が集まって走行している部位である。白質は、脳の深層に位置している。白質という名前は、脂質の含有量が多く、肉眼的に白く見えることに由来している。
8) 慢性外傷性脳症
慢性外傷性脳症は、頭部外傷によって引き起こされる神経変性疾患であり、神経病理学的に脳内にタウタンパク質が過剰に蓄積するタウオパチーの一種である。生前診断法がないため、亡くなった後の剖検によって診断がなされている。典型的には、ボクシングやアメリカンフットボール、退役軍人など、脳しんとうを繰り返し受けた場合に発症するが、単発の重度頭部外傷によっても慢性外傷性脳症の所見が出現する。認知機能障害に加えて、精神症状の頻度が高く、自殺のリスクが高いことも問題となっている。
9) 操作的診断基準
精神神経疾患は、臨床症状や他覚的所見の組み合わせが多彩であるため、評価を行う医師によって診断が異なることが少なくない。そのため、精神神経疾患の診断には、評価者によって違いが生じないように臨床症状や他覚的所見を項目化し、一定の基準を設けて診断できるように作成された基準を用いる。操作的診断基準は、診断の精度や一致率などの検証がなされ、定期的に改定される。
10) 11C-PBB3
量研が独自に開発した、脳内に蓄積したタウに対して選択的に結合する未承認のイメージング剤。PBB3のPBBはPyridinyl-Butadienyl-Benzothiazoleの略称。蛍光物質であることから、生体蛍光画像を得るのにも利用できるが、PBB3を放射性同位元素(11C)で標識することにより、PET用のイメージング剤として使用できる(未承認)。生体蛍光画像は細胞レベルの詳細な観察を可能にするが、脳の深部を観察することは困難である。これに対して、PETは脳の深部観察を可能にし、ヒトにも応用可能である。