
2026年4月30日
量子科学技術研究開発機構(QST)
東京大学
千葉大学
科学技術振興機構(JST)
発表のポイント
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従来のダイヤモンド系ナノ量子センサは感度が高い一方でセンサ間の性能のばらつきが生じやすいため、温度の「相対値」しか捉えられないという弱点があった。
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本研究では、均一性の高い分子性材料のナノ量子センサを新たに開発し、細胞内のその場所が「何度か(絶対値)」を正確に測ることに成功した。
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今後、細胞内部の局所的な温度などの変化を直接分析することが可能になり、生命現象や疾患のメカニズムを物理化学的なプロセスとして定量的に理解する道が拓かれる。
概要
量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)量子生命科学研究所の石綿整チームリーダー(兼:千葉大学量子生命構造創薬センター特任准教授)、東京大学(総長 藤井輝夫)大学院理学系研究科 楊井伸浩教授らの共同研究グループは、「分子から設計した量子センサ」を用いて、生きた細胞内部の微細な温度ムラ(温度分布)を測定することに成功しました。
細胞内部の温度は、エネルギー代謝に直結するものであることから、細胞の働き、さらには病気の進行とも深く関わる重要な情報であると考えられてきました。しかし、一般に数十マイクロメートル(100万分の1メートル)程度の大きさである細胞の内部の温度分布を構造的に理解するには、ナノメートル(10億分の1メートル)のスケールで局所的な温度を正確に測る必要があります。近年、この小ささと正確さを併せ持つ「ナノ量子センサ」技術が急速に進歩し、様々な量子センサ材料を用いた温度計測が試みられています。その中でもダイヤモンドNVセンター(窒素-空孔センター;格子欠陥)(注1)は高い感度を有することから注目され、実際にダイヤモンドをナノサイズ化して取り込ませた生細胞内の温度を測ることにも成功しています。しかし、一方でセンサ性能にばらつきが生じやすいため、相対的な温度の変化しか追えないという弱点がありました。
そこで研究グループは、化学合成で作った「分子そのもの」をセンサとして用い、生きた細胞内の温度分布を計測できる「分子性ナノ量子センサ(Molecular Quantum Nanosensors: MoQNs)」(注2)を開発しました。化学的に均一な構造を持つ分子を材料として用いることでセンサ間の性能差を抑え、細胞質や核など細胞内の異なる場所での温度を正確に計測することに成功しました。さらに、光と磁気を使った量子計測により、細胞内で生成される活性酸素由来のラジカルなどの化学物質の検出にも成功しました。これにより、温度と化学物質の情報を同時に測る「マルチパラメータ計測」への道が拓かれました。
ナノ量子センサを分子レベルで設計できる本技術は、高感度を特徴とする従来のダイヤモンド系ナノ量子センサに加え、生体内量子センシングに新たな選択肢を与えるものです。今後は、高感度が求められる用途にはダイヤモンド系を、高精度・定量性が求められる用途には分子性センサを用いるなど、目的に応じた使い分けが可能になります。これらの技術を活用することで、温度だけでなく、電場や磁場などといった物理化学的な観点から生命現象の理解が深まり、病気の診断や新薬開発など医療分野への応用が期待されます。
本研究は、科学技術振興機構(JST) 創発的研究支援事業「革新的な生体量子解析法の創生による細胞内動的機能の解明」(課題番号:JPMJFR224K)、同 戦略的創造研究推進事業CREST「スピン超偏極分子材料の創出に基づく量子医療診断」(課題番号:JPMJCR23I6)、「高次構造体連関が制御する脂質スクランブルシステム」(課題番号:JPMJCR22E4)、内閣府 総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「先進的量子技術基盤の社会課題への応用促進」(研究推進法人:QST)、文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラムQ-LEAP(課題番号:JPMXS0120330644)、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業(課題番号:JP23H00304, JP24K23089)、公益財団法人 村田学術振興・教育財団 研究助成、の支援により実施されました。 本研究成果は、米科学誌Scienceの姉妹誌であるScience Advancesのオンライン版に2026年4月30日(木)3:00(日本時間)に掲載されました。
研究背景
生きた細胞の内部で「温度」を定量的に可視化することは、細胞内小器官(オルガネラ)が司る代謝や酵素反応などの生命現象や疾患の発症メカニズムを物理化学的なプロセスとして理解する上で重要です。オルガネラの働きを理解するのに必要なナノメートル(10億分の1メートル)という極めて小さなスケールで正確に測ることは長年の難題でしたが、近年、量子センサ(ダイヤモンドNVセンター、量子ドット)や蛍光タンパク質温度センサなどの最先端技術を使った温度計測がその課題を解決しました。中でもダイヤモンドNVセンターは高い感度を有し、ナノサイズ化することで種々の細胞への取り込みが容易であるという優れた特徴を有しています。一方で、ダイヤモンドNVセンターに代表される固体結晶中に格子欠陥を形成して量子センサを作製する方法では、固体結晶に量子ビームを照射するなどして生じさせる欠陥形成が確率的な過程であるため、量子特性に個体差が生じやすく、精密な温度マッピングは困難でした(図1左)。細胞内部の温度ムラをオルガネラスケールで直接比較するためには、測定誤差の小さい温度計測(図1右)ができる量子センサの開発が求められていました。

図1.従来のナノ量子センサと今回開発した分子性ナノ量子センサ
(左)従来のナノ量子センサはダイヤモンドの固体結晶中に欠陥(空孔など)を人為的に形成して量子センサを作っているが、その欠陥形成が確率的であるがゆえに、センサの個体差を生み、センサ間の性能のばらつきが生じやすいという課題がある。(右)一方、新しい分子性ナノ量子センサ(MoQNs)は、固体結晶に欠陥を“確率的に作り込む”工程を必要とせず、分子として同一構造のセンサを用いることで、センサ間の特性ばらつきを抑え、高い均一性を実現できる。
研究の内容
この課題を克服するには、欠陥形成に依存せず、分子レベルの均一性と化学的な設計自由度を持った量子センサの開発が必要です。研究グループは、この「センサの個体差」を解決すると同時に、生体環境下でも量子コヒーレンスが保たれる安定な量子計測も実現するため、新しい量子センサ材料として、ペンタセン分子スピン(光励起三重項)に着目しました。しかし、ペンタセン分子そのものは反応性が高く大気中で不安定であるため、そのままでは量子センサとして安定に動作しないという課題がありました。そこで本研究では、量子センサ部分として機能するペンタセン分子スピンを、ホスト分子であるパラターフェニル中に均一に埋め込むことで大気中でも安定に動作させるようにした上で、細胞内への影響を抑えるため、生体適合性が高く、低毒性で非イオン性の共重合体である界面活性剤Pluronic F127で表面を被覆しました。これにより、分子由来の高い均一性と生体適合性を両立する細胞内量子センシングに適したMoQNsを確立しました(図2)。本手法では、分子が本来持つ性質がそのままセンサ特性に直結するため、用いる分子を変えるだけで感度や応答特性を分子設計により柔軟に拡張できる点も大きな特長です。

図2.分子性ナノ量子センサを用いた細胞内部の温度の絶対値とラジカルの量子センシング
センサは、量子センサ部分であるペンタセンとそれを閉じ込めたホスト分子パラターフェニルから構成されている。
次に研究グループは、ペンタセンの重水素化によってスペクトル分解能を向上させることに成功しました(図3)。この重水素化したMoQNs(dMoQNs)を用いることで、細胞の細胞質および核内における空間分解能を維持したまま測定誤差の小さい温度計測を実証し、細胞内温度を「相対変化」ではなく「絶対値」として直接比較できることを示しました。

図3.ペンタセン分子の重水素化によるODMRスペクトラムの制御
ペンタセン分子の結合状態を水素が結合したものから重水素が結合したものに変更することで電子スピンと核スピンの相互作用を抑制し、ODMRスペクトラム分解能の向上に成功しました。
さらに、オルガネラごとの量子計測を実現するため、粒径約200ナノメートルのdMoQNs(dMoQN200)を、開発した核へ選択的に導入する手法によってマウスの肝細胞癌由来細胞株Hepa1-6に入れ、核内の複数位置から光検出磁気共鳴(ODMR)(注3)による量子計測(CW-ODMR)を行うことで、核内の温度分布をナノスケールで可視化しました。dMoQNs200の核内導入は、核染色(Hoechst)との共染色により確認しました(図4A、B)。
その結果、細胞を培養した時の周囲の温度が一定であっても、細胞の核内には1度程度の幅を持った不均一な分布があることが、本技術によって観測されました。複数細胞を用いた実験結果から、こうした温度が細胞周囲の温度変化に応じて変動することも示唆されました。

図4.細胞核内温度計測
A:核内に導入された dMoQN の局在像、B:核内における局所的な ODMR 測定位置の同定、C:核内で取得した ODMR スペクトルおよび温度の絶対値の算出結果
また、がんをはじめとする様々な疾患の進行には、細胞内で発生する活性酸素種(フリーラジカルなど)による「酸化ストレス」が深く関与しています。そのため、細胞内の活性酸素種を正確に測定することは、病気のメカニズム解明や新たな治療法開発において重要な課題です。そこで研究グループは、MoQNsを用いて生きた細胞内のフリーラジカルを検出できるかを検証しました。細胞に過酸化水素(H₂O₂、100 µM)を加えて人工的に酸化ストレス状態を作り出し、MoQNsによるスピンコヒーレンス時間 (緩和時間)(注4)の測定を行いました。その結果、細胞質だけでなく核の内部でも、発生したフリーラジカルの検出に成功しました。(図5B、D、E)。
これらの成果により、MoQNsは細胞質・核といった細胞内の異なる環境において、温度の「絶対値」とラジカルの産生を量子計測で捉えることができる、新しい分子性ナノ量子センサであることが示されました。

図5.細胞質・核内活性酸素(ROS)計測の結果
A: 蛍光分子によるラジカル生成の確認。B:細胞質に導入されたMoQN。C:核内に導入されたMoQN。D:過酸化水素水によるラジカルのT1緩和時間による検出。E:過酸化水素水によるラジカルのT2緩和時間による検出。
研究の成果と今後の期待
本研究では、分子スピン(ペンタセンの光励起三重項)をホスト分子に均一に埋め込みナノ粒子として生成し、さらに生体適合性コーティングを施すことで、細胞内で安定に機能するMoQNsの開発に成功しました。従来の固体量子センサで課題となっているセンサごとの個体差に対し、MoQNsは、分子の均一性と分子を化学設計できるという点が大きな特長です。実証として、複数の細胞の細胞質に加えて核内へ選択的にMoQNsを導入し、細胞質・核といったオルガネラレベルの異なる環境における温度マッピングを低い計測誤差で達成するとともに、核内部にも局所的な熱の不均一性があることを示しました。さらに、過酸化水素処理により細胞内で生成したラジカルに対し、T₁/T₂緩和時間に基づく量子計測で細胞質および核内の両方でラジカル検出を実証し、細胞内酸化ストレスを量子的に捉える道筋を示しました。
MoQNsは「分子がそのままセンサとして働く」ため、分子設計を変えるだけで感度・応答特性・標的分子などを拡張でき、温度に加えて酸化還元状態、ラジカル、環境応答などへの多機能化へ発展できる可能性があります。今後は、(1) 粒子のさらなる小型化と導入時の細胞への影響の低減、(2) マイクロインジェクションに依存しないオルガネラ(核・ミトコンドリアなど)標的デリバリー技術の開発、(3) 細胞状態(周期、ストレス応答、がん関連状態など)と温度・ラジカル分布の相関解析を進めることで、細胞内の様々な反応に関して「どこで何が起きているか」を定量的に可視化する新しい計測基盤の確立が期待されます。細胞内の様々な反応を「変化量の平均値」として示すことが可能な場合、例えば、多くの量子センサの導入に耐え得る細胞の場合には、従来の量子センサの感度の高さを選択し、逆に一定数以上の量子センサの導入に耐えられない細胞の場合には、今回開発したMoQNsの計測誤差の小ささを選択するなど、生体内量子計測に選択肢の幅を与える成果です。さらに将来的には、分子スピン系ならではの設計の自由度を活かし、複数パラメータの同時計測や高度な量子計測スキームへの展開も視野に入れています。
用語解説
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(注1)ダイヤモンドNVセンター(窒素-空孔センター;格子欠陥)
- ダイヤモンド結晶中で、窒素原子(N)と隣接する空孔(V:原子が抜けた欠陥)が対になって形成される点欠陥をNVセンターと呼びます。NVセンターは電子スピンをもち、光とマイクロ波で状態を制御・読み出しできるため、磁場や温度などを測る量子センサとして利用されます。ナノダイヤモンドは直径がナノメートルサイズのダイヤモンド粒子で、NVセンターを含むナノダイヤモンドは細胞内へ導入できる量子センサ材料として研究されています。
- 分子から成る量子ビット(電子スピン)をナノ粒子に組み込み、光とマイクロ波でスピン状態を操作・読み出しすることで、細胞内の温度やラジカルなどの情報をナノスケールで計測できる量子センサです。ダイヤモンド中の欠陥を用いる量子センサと異なり、分子そのものをセンサ素子として設計できる点が特徴です。
- 光励起(Photoexcitation)によって生成される三重項電子スピンにマイクロ波を照射し、スピン共鳴に伴って生じる発光強度の変化を検出することで、磁気共鳴(スピン状態)を「光で読み出す」手法です。
- 量子状態がどれだけの時間保たれるかを示す指標です。一般に、この時間が長いほど、高精度な量子計測が可能になり、主にT₁とT₂で表されます。T₁はスピンのエネルギー緩和(縦緩和)に対応し、T₂は位相緩和(横緩和)に対応します。
(注2)分子性ナノ量子センサ(Molecular Quantum Nanosensors: MoQNs)
(注3)光検出磁気共鳴(ODMR)
(注4)スピンコヒーレンス時間(緩和時間)
論文掲載情報
雑誌名:Science Advances
題 名:Molecular Quantum Nanosensors Functioning in Living Cells
著者名:石綿 整*、Jiarui Song、滋野庸子、西村亘生、楊井伸浩* (*責任著者)
DOI:https://doi.org/10.1126/sciadv.aeb5422
