
2026年10月2日
兵庫県公立大学法人兵庫県立大学
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
ポイント
- 次世代の高速・省エネルギー電子機器の開発に欠かせない超高速現象の研究では、観測データから本当に何が起きているのかを判断することが容易ではありませんでした。
- 本研究では統計学を活用し、磁石材料における超高速現象の実験データがどちらのモデルを支持するかを数値で評価し、現象の解釈をより客観的に行う手法を開発しました。
- 本成果は、先端材料や量子技術の研究開発を支える共通基盤として、より正確で再現性の高い科学研究に貢献することが期待されます。
概要
磁石(強磁性体)に超短パルスレーザーを照射すると、磁化が極めて短い時間で減少する「超高速消磁(注1)」が起こります。この現象は、高速かつ省エネルギーな磁気デバイスを実現するための基礎技術として注目されています。一方、超高速消磁の実験データから、物理現象としての消磁が一つの過程で進むのか、異なる時間スケールをもつ複数の過程が関与するのかを判断する際には、研究者の経験や解析結果の見た目に依存するという問題がありました。
本研究では、超高速消磁の代表的な二つの物理モデルを統計学的に比較し、どちらのモデルが実験データにより強く支持されるかを数値で評価する解析手法を開発しました。人工的に作成したデータと実際の実験データの双方を用いて検証した結果、異なる超高速消磁モデルを定量的に識別できることを示しました。さらに、実験の時間分解能やノイズの大きさに応じて、モデル選択の信頼性がどのように変化するかも評価できることを明らかにしました。
本手法により、実験条件や解析方法によって生じる見掛け上の違いと、本質的な物理現象の違いを区別しやすくなり、超高速磁化ダイナミクスの理解がより定量的に進むことが期待されます。また研究者は実験前に必要な時間分解能や信号精度の目安を検討することが可能になるため、効率的に実験を実施することができます。本手法は磁石のような磁性材料に限らず、放射光科学や量子材料研究で得られる計測データなど、複数の物理モデルを精密な計測データから見分ける必要がある幅広い研究分野への展開が期待されます。
研究の背景
電子のもつスピンを利用するスピントロニクスでは、磁化を高速に制御する技術が重要です。超短パルスレーザーを用いた超高速消磁の実験では、磁石にレーザーを照射した後の磁化(スピンのそろった度合い)の変化を時間分解計測し、その実験データを数理モデルで解析することで、現象を支配する時間スケールや物理過程を調べます(図1)。

図1.超高速消磁の模式図。磁石に超短パルスレーザーを照射すると、そろっていたスピンの向きが極めて短時間(1兆分の1秒〜1000兆分の1秒)で乱れ、磁化が減少します。青球が原子、赤矢印がスピンを表します。
超高速消磁の物理モデルは「時間スケール」というパラメータによって記述され、主として一つの時間スケールで進むtype-Iと、速い変化に続いて遅い変化が現れるtype-IIの2種類に分類されます(注2)。Type-IとType-IIでは超高速消磁の背後にある物理メカニズムの解釈が異なるため、どちらのモデルが実験データによって支持されるかを適切に判断することが重要です。しかし、実際のデータには有限の測定点数しかなく、さらに計測ノイズが含まれるため、解析結果(回帰曲線の形状)だけから両者を判定することは容易ではありません。複雑なモデルはデータに合わせやすい反面、必要以上に多くの変数を用いる「過剰適合」を起こす可能性もあります。そのため、モデルの適合度と複雑さを同時に考慮する客観的な判定法が必要でした。
研究内容と成果
本研究では、type-Iとtype-IIの超高速消磁モデルにベイズモデル比較(注3)を適用し、ベイズ情報量規準(Bayesian Information Criterion: BIC)(注4)に基づいて両モデルを比較しました。BICは統計モデルの適合度を評価するための指標のひとつです。BICではデータへの当てはまりを評価すると同時に、パラメータ数の多いモデルに罰則を与えることで、単に残差が小さいモデルを選ぶのではなく、データを十分に説明できる最も妥当なモデルを統計学的に判定できます。
まず、正解となるモデルがあらかじめ分かっている人工データ(注5)を用い、測定点数、時間分解能、ノイズの大きさなどを変化させてBICによる解析を適用しました。その結果、データの品質がモデル識別の確実性に与える影響を定量化することができました。続いて実験データ(強磁性酸化物NiCo2O4の超高速消磁)に適用し、異なる物理モデルを支持する度合いを数値として示せることを確認しました。これまで視覚的・経験的になりやすかったtype-I/type-IIの分類に、再現可能な判断基準を与えた点が本研究の成果です(図2)。 本研究は、超高速消磁そのものの新たな現象を発見したものではなく、超高速消磁研究で広く用いられてきたType-I/Type-II分類に対し、統計学に基づく客観的な判断基準を与える解析手法を提案したものです。従来は解析結果の見た目や研究者の経験に依存する部分が大きかったモデル選択を定量化し、実験データから導かれる物理的解釈の信頼性を評価できるようにした点に本研究の意義があります。

図2.人工データと実験データを用いたType-I/Type-II消磁の判別。
(1)人工データで解析法を検証し、(2)時間分解能とノイズに応じた判別条件を整理しました。赤い領域はType-IIモデル、青い領域はType-Iモデルが支持される条件を示し、白い領域は両モデルの判別が難しい条件を示します。(2)の判別条件は、速い消磁と遅い消磁の時間定数をそれぞれ0.3 ps(ピコ秒)、3 psに設定した人工データについての結果です。(3)NiCo2O4の実験データでは、二段階のType-II消磁が強く支持されました。
社会的意義・今後の予定
本研究は超高速消磁の研究において長年用いられてきたType-I/Type-II分類に対し、統計学に基づく客観的な判断基準を与えるものです。これにより、実験条件や解析方法によって生じる見掛け上の違いと、本質的な物理現象の違いを区別しやすくなり、超高速磁化ダイナミクスの理解がより定量的に進むことが期待されます。
また先端計測では、装置性能を高めるだけでなく、得られたデータからどこまで確かな結論を導けるかを評価することが重要です。本研究の手法を用いると、必要な測定精度を実験前に見積もり、限られた測定時間を効率的に配分することができます。また、解析者による判断のばらつきを抑え、研究結果の再現性と透明性を高めることにもつながります。
今後は、より多様な磁性材料と計測条件に本手法を適用するとともに、超高速磁化ダイナミクス以外の時間分解分光や放射光計測などへの展開を進め、複数の候補モデルから物理現象を選び分ける共通の解析基盤として発展させることを目指します。
論文情報
雑誌名:Structural Dynamics
論 文 タ イ ト ル : Bayesian model comparison of type-I and type-II ultrafast demagnetization dynamics
著者:Hiroki Wadati and Tetsuro Ueno
DOI:https://doi.org/10.1063/4.0001228
掲載日:2026年9月28日
用語解説
- 注1:超高速消磁
- 磁性体に非常に短い光パルスを照射した直後、磁化がフェムト秒(1000兆分の1秒)からピコ秒(1兆分の1秒)の時間領域で急速に減少する現象。
- 注2:type-I/type-II超高速消磁
- 超高速消磁の時間変化を表す代表的な分類。type-Iでは主として一つの速い過程として磁化が変化し、type-IIでは速い変化に加えて、より遅い時間スケールの変化が現れる。
- 注3:ベイズモデル比較
- 複数の候補モデルについて、観測データがそれぞれをどの程度支持するかを統計学的に比較する考え方。本研究ではベイズ情報量規準を用いて近似的に評価した。
- 注4:ベイズ情報量規準(Bayesian Information Criterion: BIC)
- データへの当てはまりとモデルの複雑さを同時に評価する指標。値が小さいモデルほど、データを効率よく説明するモデルと判断される。
- 注5:人工データ
- 解析手法の性能を確かめるため、既知の数理モデルに測定誤差やノイズを加えて計算機上で作成したデータ。正解が分かっているため、判定精度を客観的に評価できる。
特記事項
本研究は、JSPS科研費(JP23K25805、JP25H01251)および文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)、次世代アト秒レーザー光源と先端計測技術の開発」(JPMXS0118068681)の支援を受けて実施されました。
