

2026年10月24日
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)
国立研究開発法人日本医療研究開発機構
発表のポイント
- 婦人科がんの子宮体部漿液性がん1)は難治がんとして知られ、特化した治療法は確立されていません。米国では分子標的薬2)のトラスツズマブが用いられますが、治療の過程でがんが薬剤耐性を持ち、効きにくくなることが大きな課題でした。
- トラスツズマブにアルファ線を放出するアスタチン-211(211At)を付加した211At-トラスツズマブ複合体3)が、トラスツズマブ耐性のHER2陽性子宮体部漿液性がんに対して極めて高い治療効果を示すことをモデルマウスで明らかにしました。
- 211At-トラスツズマブ複合体がトラスツズマブ耐性となったHER2陽性子宮体部漿液性がんに有効な治療薬として使われることが期待されます。
概要
量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)QST病院重粒子線治療研究部の李惠子主幹研究員、長谷川純崇部長らは、分子標的薬剤の一つであるトラスツズマブが効かなくなった子宮体部漿液性がん(以下、漿液性がん)に対し、標的アルファ線治療が極めて高い治療効果を有することを、モデルマウスで明らかにしました。
婦人科がんの一つである漿液性がんは、病初期から腹膜播種など転移を生じやすく、高い悪性度を示す予後不良の難治がんとして知られています。しかし、子宮体がん全体の一割未満と稀な病態であるため漿液性がんに対する治療法の開発研究が十分に行われていません。そのため現在は、一般的な子宮体がんに対して用いられる化学療法が治療の中心となっています。
分子標的薬の一つであるトラスツズマブは、がん細胞の表面にあるHER2 4)に対する抗体であり、HER2に結合することにより、そのタンパク質が担う増殖シグナルの伝達を阻害し、がん細胞の増殖を抑える効果を持っています。漿液性がんの約3分の1の患者において、がん細胞表面にHER2が高発現していることから、そうした患者に対しては従来の化学療法に加えトラスツズマブを併用することにより効果を高める治療が世界で行われています。一方、日本ではトラスツズマブ併用治療はまだ取り入れられていません。
しかし、トラスツズマブ治療では、治療初期には有効であるものの、治療の後期で効かなくなることがよく知られています。これは、がん細胞がHER2とは別のシグナル経路を使って細胞を増殖させるなどの耐性を獲得するためとされており、薬剤耐性の克服が世界的にも大きな課題となっていました。一方、標的アルファ線治療は、分子標的薬がHER2などのタンパク質の機能を阻害するのとは異なり、がん細胞表面からアルファ線を放ちDNAを直接損傷することによりがん細胞を殺傷するものです。そのため、トラスツズマブ耐性になったがんでも効果を発揮することが考えられます(図1)。

図1.子宮体部漿液性がん治療の現状と標的アルファ線治療
そこで本研究では、トラスツズマブにアスタチン-211(211At)を付加した211At-トラスツズマブ複合体を用いて、漿液性がんの腹膜播種モデルマウスで治療効果を評価しました。その結果、211At-トラスツズマブ複合体がトラスツズマブ耐性の漿液性がんの腹膜播種に対して極めて高い治療効果を示すことが明らかとなりました。
今後は、臨床試験の実施に向けて、安全性や有効性などの検討を進め、将来のがん診療への応用を目指します。211At-トラスツズマブ複合体がトラスツズマブ耐性となった漿液性がんに対する新たな治療の選択肢となることが期待されます。本研究は、Journal of Nuclear Medicineに2026年10月24日1:00にオンライン掲載されました。
研究開発の背景と目的
漿液性がんは、子宮体がんの中でも一割未満と稀ながんです。しかし、このがんは病気の進行が早く、診断された段階ですでに全身への転移が認められる例が多く、予後不良のがんとして知られています。
がん細胞表面には、がんの増殖に関与する様々なタンパク質が存在しています。その中で、良く知られているものの一つに、ヒト上皮成長因子受容体タイプ2(HER2)タンパク質があります。漿液性がんにおいて、約3分の1でHER2が高発現していると報告されています。トラスツズマブは、このHER2に結合してがんの増殖を抑える分子標的薬です。
米国では、HER2ががん細胞表面に高発現している一部の漿液性がんに対して、従来の化学療法と併用する形でトラスツズマブが治療に使われています。しかし、HER2が高発現しているがんにおいても、元来トラスツズマブに対して抵抗性を持つものや、治療を行っていく過程で、一部の患者でトラスツズマブの効きが悪くなるがんがトラスツズマブに耐性を持つようになることが大きな課題となっています。
近年、標的アルファ治療に高い注目が集まっています。アルファ線が非常に高い細胞殺傷効果を持ち、非常に短い距離しか飛ばないため、がんに集中させることでがんを効果的に治療しながらも、周辺の正常組織へのダメージを低減できるからです。211Atは医学利用が期待されるアルファ線放出核種の一つで、加速器で製造することができるため、国内での安定的な製造供給が期待できます。
そこで本研究では、211At-トラスツズマブ複合体がトラスツズマブ耐性がんに治療効果があるかどうかを動物実験で確かめました。

図2.化学療法、分子標的治療および標的アルファ線治療の比較
研究の手法と成果
トラスツズマブ耐性を獲得した漿液性がんを模したモデル(以下、トラスツズマブ獲得耐性モデル)を作製し、211At-トラスツズマブ複合体投与によって、トラスツズマブ耐性漿液性がんが死滅するかどうかを調べました。トラスツズマブ獲得耐性モデルは、次の工程で作製しました(図3)。
- HER2を高発現している漿液性がん患者から採取・作製されたがん細胞株を、マウスの腹腔内に移植し、腹膜播種マウスモデルを作製(トラスツズマブ感受性モデル)。
- 腹膜播種モデルマウスにトラスツズマブを投与しトラスツズマブ耐性を誘導
- 耐性を示したがん細胞をマウスから採取、培養
- 新たなマウスの腹腔内に移植して腹膜播種を再現
- 2.〜4.のサイクルを4回繰り返し、最終的に得られた耐性獲得がん細胞をマウスから採取・培養
- 新たなマウスの腹腔内に移植して作製したトラスツズマブ獲得耐性モデルを用いて治療実験を実施
図3.腹膜播種モデルを用いたトラスツズマブ耐性に対する標的アルファ線治療の効果の実証
トラスツズマブ獲得耐性モデルに対して、生理食塩水(コントロール)、トラスツズマブ(HER2標的薬治療)、211At-トラスツズマブ複合体(標的アルファ線治療)をそれぞれ1回投与し治療し、個体ごとにがんの変化をイメージングで測定しました。その結果、コントロール群やHER2標的薬治療を行った群では、がんが増殖していたのに対し、標的アルファ線治療を行った群ではがんが抑制されていることが確認できました(図4,5)。これによって、トラスツズマブ耐性漿液性がんの増殖を抑制できることが明らかになりました。

図4.漿液性がん腹膜播種のイメージング画像
移植した漿液性がん細胞には、発光酵素(ルシフェラーゼ)遺伝子が組み込まれており、がん細胞の発光輝度を計測することで、がん細胞の増殖の有無を生きたままの動物で調べることが可能です。コントロール群(生理食塩水投与)や、HER2標的薬治療群(トラスツズマブ投与)では、腹膜でがん細胞が増殖しています。一方、アルファ線を放出する標的アルファ治療群(211At-トラスツズマブ投与)では、治療してから3週目でがん細胞がほとんど検出されない個体も認められました。

図5.トラスツズマブ獲得抵抗性漿液性がんに対する治療効果の解析結果
マウスの腹部が収まるよう測定範囲を設定して、個体ごとに全がん細胞の発光輝度を測定し、治療後の輝度を治療前の輝度で割った値(変化率)をグラフにしたものです。コントロール群(生理食塩水投与)や、HER2標的薬治療群(トラスツズマブ投与)に比べて、アルファ線を放出する標的アルファ線治療群(211At-トラスツズマブ投与)では変化率が小さく、がんの増殖が抑えられているのがわかります。
今後の展開
211At-トラスツズマブ複合体が、トラスツズマブが効かなくなったHER2陽性漿液性がんに対して効果的な治療薬になることが期待できます。トラスツズマブは漿液性がんに限らず、乳がんや胃がんなど様々ながんの治療薬としても使用されており、これら多くのがん種においても適応できることが考えられ、トラスツズマブ耐性克服のための突破口となることが期待できます。
トラスツズマブのような抗体以外に、分子標的薬には血管新生の抑制や免疫を利用する薬剤もありますが、やはり、がん細胞が治療耐性を獲得することも知られています。これらの分子標的薬に211Atを付加した複合体は、その分子標的薬に耐性を示すがんに対しても治療効果を発揮する可能性が考えられます。
謝辞
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)ムーンショット型研究開発事業「細胞運命転換を用いた若返りによるがんリスク0の世界」、科研費(20K16841)の助成を一部受けています。
用語解説
- 1)漿液性がん
- 卵巣や子宮、腹膜、卵管などの女性生殖器を中心に発生する上皮性がんの一種です。子宮体部漿液性がんは、子宮体がん全体を占める割合は少ないですが、悪性度の高い特殊型であり、早期から子宮外への広がりや再発を起こしやすい、予後不良ながんです。
- 2)分子標的薬
- 分子標的薬は、がん細胞だけが持つ目印を見つけて、そこを狙い撃ちする治療薬です。がんの増殖を支える仕組みを妨げることで、がんの成長を抑えます。
- 3)211At-トラスツズマブ複合体
- アルファ線を放出する核種であるアスタチン-211(211At)を抗体(トラスツズマブ)に付加した放射性薬剤です。トラスツズマブは、胃がんや乳がん等の一部のがんで高発現しているHER2に結合する抗体で、上記のがんに対して抗体治療薬として使われています。
- 4) HER2
- ERBB2、NEUとも呼ばれるタンパク質で、細胞表面に存在しています。細胞の増殖や分化などに関与しており、受容体型チロシンキナーゼとして細胞外部からの信号を細胞内部に伝える役割を持ちます。乳がんや胃がんの一部で高い発現をしており、治療に対する良い標的とされています。このタンパク質に対する抗体であるトラスツズマブ(商品名ハーセプチン)は、上記のがんの治療に抗がん剤と組み合わせて用いると効果が上がることがわかっています。
掲載論文
タイトル:Targeted Alpha Therapy with Astatine-211-labeled Trastuzumab Overcomes Trastuzumab Resistance in Uterine Serous Carcinoma in Mice
著者:Huizi Keiko Li1, Mayuka Anko1, Kouji Banno2, Kotaro Nagatsu1 and Sumitaka Hasegawa1
著者所属:1 QST, 2 慶應義塾大学医学部産婦人科
雑誌名:The Journal of Nuclear Medicine
