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千葉地区共通情報

放射線被ばく事故による小腸障害の新たな治療法の発見

掲載日:2018年12月26日更新
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平成23年2月23日
独立行政法人 放射線医学総合研究所(理事長:米倉 義晴)
緊急被ばく医療研究センター 高線量被ばく障害研究グループ
石原 弘チームリーダー

本研究成果のポイント

  • 高線量の放射線被ばく後の小腸粘膜障害には有効な治療法がなかったが、治療薬物候補が動物実験により見つかった
  • 障害を受けた小腸粘膜の回復を、タンパク同化ステロイドであるナンドロロンが促進する
  • 一方で、ナンドロロンと逆の作用を持つ卵胞ホルモンは障害の回復を阻害する

独立行政法人 放射線医学総合研究所(理事長:米倉義晴、以下、放医研)緊急被ばく医療研究センター高線量被ばく障害研究グループの石原弘障害治療研究チームリーダーおよび明石真言センター長らは、骨粗鬆症の治療などに用いられるタンパク同化ステロイド※1が高線量の放射線被ばく後に発生する腸障害の回復に有効であることを明らかにしました。

被ばく事故などで高線量の放射線が腹部に当たると、小腸の粘膜が次第に消滅する腸障害※2が起き、大出血などで死亡する例が古くから知られてきましたが、現在その治療法は確立されておりません。そこで、研究グループでは実用化可能な薬物を探索し、タンパク同化ステロイドのひとつナンドロロン※1が、培養した小腸粘膜細胞の増殖を最も強く促進することを見いだしました。また、高線量のX線をマウス腹部に照射した翌日に、ナンドロロンを1回投与することで、その後の生存率が改善し、障害を受けた粘膜の再生の速度が大幅に促進していることを示しました。一方、タンパク同化拮抗作用のある卵胞ホルモンは、照射後の生存率や粘膜の再生を低下させることも明らかにしました。

本研究により、骨粗鬆症や重い火傷の治療に使用される医薬品であるタンパク同化ステロイドは、被ばく事故後の腸障害の治療や、放射線治療に伴う小腸障害の対策としても活用できる可能性が示されました。

この成果は、放射線科学研究分野でインパクトの大きい論文が数多く発表される米国の放射線研究誌「Radiation Research」2月28日発行の3月号(175巻第3号)に掲載される予定です。

研究の背景

被ばく事故などで高線量の放射線が腹部に当たると、小腸の粘膜が次第に消滅する腸障害が起きます。被ばく線量が著しく高い場合、腸粘膜からの出血を阻止することができず、腸死に至ることが古くから知られてきました。こうした放射線による腸管障害に対し、被ばく前に投与することで障害を抑える治療法はありますが、被ばく事故の発生した後に使用しても効果の期待できる治療法は見いだされていません。

このため、放医研の研究グループでは被ばく後の放射線腸管障害に対する実用可能な治療法を探索するために、持続性の細胞増殖作用を有するステロイド薬物に着目し、治療効果を比較しました。

研究方法

放射線被ばく事故に対処するためには、薬物を投与するタイミングが被ばく後数時間以上経た後であっても有効である必要があります。動物実験から、小腸粘膜細胞は高線量放射線の腹部照射直後から7日にかけて次第に減少すること、被ばくの4日後から小腸粘膜の再生が始まること、及び被ばくの8日後において再生が充分であれば生き残り、再生が不完全であれば7日までに死亡することがわかりました。そこで小腸粘膜の再生過程に相当する小腸粘膜の増殖を指標として、これを促進する薬物を検索しました。

まず、小腸粘膜細胞株(IEC-6)を使用して、約20種類のステロイド薬物を様々な濃度で投与後、細胞増殖を促進する薬物としてタンパク同化作用薬であるナンドロロン(正式名:19-ノルテストステロン)を、また細胞増殖を抑制する薬物としてナンドロロンと逆の作用(タンパク同化拮抗作用)を有する卵胞ホルモンであるエストラジオールを選別しました。

次に、50%のマウスが死亡する高線量(15.7Gy)のX線を腹部照射したマウスを用いてナンドロロン及びエストラジオールの効果を調べました。腹部被ばく24時間後にこれらの薬物を1回投与し、その後のマウスの生存率を調べるとともに、被ばく5日後における小腸粘膜の再生状態を測定しました。

結果

ナンドロロン及びエストラジオールを用いた動物実験の結果、ナンドロロンが照射後のマウス生存率を37%高め、エストラジオールが生存率を40%以上低下させました(図1)。さらに、被ばくの5日後における再生中の粘膜細胞数が、ナンドロロン投与により23%増加し、エストラジオール投与により33%減少しました(図2)。これらの結果から、放射線による小腸粘膜の急性障害に対して、タンパク同化作用のあるナンドロロンの作用が、小腸粘膜の再生を促進し、生存率を高めることに寄与することが示されました。一方、タンパク同化拮抗作用のあるエストラジオールは、死亡率を高め、粘膜の再生を阻害していることが判明しました。

放射線の腹部照射に対するタンパク同化ステロイド及び卵胞ホルモンの効果。
図1:放射線の腹部照射に対するタンパク同化ステロイド及び卵胞ホルモンの効果。
マウスの腹部全体を15.7GyのX線で照射し、翌日にナンドロロン、エストラジオール、対照としてコレステロールを投与した後のマウス生存率。腸障害によりマウスは食餌を停止するので、消耗防止のため、連日栄養液を投与した。出生期日の異なるマウスを用いた実験を3回以上行った結果を用いて有意差を求めた。

放射線障害後の小腸粘膜再生に対するタンパク同化ステロイド及び卵胞ホルモンの影響
図2:放射線障害後の小腸粘膜再生に対するタンパク同化ステロイド及び卵胞ホルモンの影響
マウスの腹部全体を15.7GyのX線で照射し、翌日にナンドロロン、エストラジオール、対照としてコレステロールを投与した。被ばく5日後のマウスから全小腸を分離して細胞増殖指標として再生粘膜コロニー数を計測した。

今後の展開

本研究結果は動物実験によるものではありますが、ナンドロロンは、医薬品として人に対する安全性や副作用が充分に検討されていますので、臨床への応用が可能であると考えられます。たとえば、高線量放射線による被ばく事故後に、小腸の被ばく障害が発生したときには、ナンドロロンを投与すれば、回復に役立つことが予測できます。

また、エストラジオールは、更年期障害治療薬として使用されていますが、粘膜の再生を阻害する作用があるので、被ばく時のエストラジオールの投与は避けた方が良いでしょう。また、ナンドロロンと同様に、タンパク同化作用を有する男性ホルモンとして頻用されているテストステロンは、体内にエストラジオールに変換されるので、ナンドロロンのような効果は期待できないと考えられます。この成果は、被ばく事故だけでなく、癌の放射線治療の際に、小腸が被ばくして腸管障害の発生したときなどにも利用できることが期待できます。

今後は、本研究成果について緊急被ばく医療や高線量被ばく医療への導入を目指すとともに、国内外専門家に対しても本成果の詳細情報を発信し、関連情報の収集を進めてゆく予定です。

用語解説

※1 タンパク同化ステロイド、ナンドロロン

タンパク同化ステロイドとは、男性ホルモンを修飾して、細胞にタンパク質の合成を促す作用を強めるとともに男性化促進作用を抑えた薬物の総称であり、その一つが合成ステロイドであるナンドロロンである。本薬物の骨格筋を増強する作用がドーピングに悪用され、その長期にわたる大量服用などの乱用により、様々な副作用が問題となり、スポーツの分野では使用が禁止され、国によっては所持も制限されている。一方、国内では、ナンドロロンの他にメテノロンやメスタノロンなどが医薬品として承認されており、男性機能の低下や骨粗鬆症の改善、重い火傷、著しく消耗した患者の治療を目的として医師による処方ができる。男性ホルモンと同様に、哺乳動物の種を越えて共通の生体作用を示す。

※2 腸障害

腹部の放射線被ばく線量が12Gyを超えると、小腸の粘膜細胞の分裂が阻害される。被ばくしたのが腸の一部であれば粘膜は再生するが、線量がさらに大きい場合や腸全体が被ばくすると、被ばく後1~2週程度で小腸の粘膜組織は崩壊し、止血不可能な大量出血や感染症により死亡する。これを腸死または腸管死とよび、現在のところ有効な治療法はない。なお、白血球や血小板の生産の低下する骨髄障害は被ばく線量が3Gy以上で発生する。

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