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重粒子線がん治療 インタビュー(稲庭拓 グループリーダー)

掲載日:2020年3月16日更新
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粒子線治療の進化形「マルチイオン照射」の開発

炭素線治療は、照射された炭素線が体内に付与するエネルギーを利用して体深部のがん細胞を死滅させる治療法だ。QSTは1993年に日本初の大型加速器HIMACを開発し、1994年の治療開始からこれまでに約12,000人を超えるがん患者の炭素線治療を実践してきた。しかし、炭素線治療はなおも進化を続けている。稲庭拓のアイデアから始まった次世代の治療用ビームが治療現場に登場する日も、そう遠くはないかもしれない。

インタビュイー

稲庭拓

(放射線医学総合研究所 物理工学部 治療ビーム研究開発グループ グループリーダー)

 

「マルチイオン照射」とは?

私は2006年にQSTに入職して以来、粒子線によって人の体に起こる生物学的な反応を予測する研究に従事してきました。QSTの加速器HIMACは水素からキセノンまで幅広い元素を加速することができますが、現在、治療に使用しているのは炭素線です。炭素はがん治療に非常に有効ですが、すい臓がんなど治療が難しいがんの治療には酸素やネオンなど、より重いイオンを使った方が効果的な可能性があります。逆に放射線がよく効くがんにはヘリウムなどの軽いイオンを使えば、がん周辺の組織へのダメージが軽くて済むかもしれません。

同じ腫瘍でも部分的に放射線がよく効く場所もあれば効きにくい場所もある。腫瘍の性質や取り巻く環境によっていろいろなイオンビームを組み合わせて使えば、より効果的かつ人にやさしい治療ができるのではないか。そう思いついた私は、2012年に「マルチイオン照射」を提案しました。現在、ヘリウム線、酸素線やネオン線も照射できるマルチイオン照射装置の開発を進めています。アイデアが形になって患者さんの治療に使われる、ようやく初めの一歩を踏み出したところです。

目下、取り組んでいることは何ですか?

マルチイオン照射装置の開発に当たっては、まず治療に用いるヘリウム、炭素、酸素、ネオンのビームを作ることから始めました。次いで、ビームのデータを取得し、そのデータを治療計画装置に反映するための計算モデルを作り、複数種のビームを組み合わせた照射野を作成するための試験を行っていきました。そして、シャーレに播種したがん細胞にビームを照射し、がんへの効果を確かめる「生物効果の検証」を行いました。

現在は「治療計画装置」の開発を進めています。人の体に入った粒子の挙動を予測して、照射パラメーターや照射線量などを決定するための計算アルゴリズムを装置に組み込む作業です。人の体は脂肪もあれば骨もある複雑な場です。例えば脂肪を通ってきた粒子と骨を通ってきた粒子では、砕けずに目的の場所に到達する粒子の割合が違いますので、それを予測して照射する粒子数を変えなければなりません。人体という照射対象物の複雑さから、ややもすれば現象論的な取り扱いに傾向しがちですが、そのような複雑な場にあっても物理学の法則通りの反応を実際に実験で確認できるのは、研究者にとって面白いと思うところですね。

実用化の見通しはいかがですか?

2022年には臨床試験を開始したいと考えています。この研究が将来、治療が困難ながんの克服につながれば本当にうれしいです。そのために、チームのメンバーと一緒に一つひとつ課題を解決しながら研究を進めています。

細胞への照射実験の様子

一方、2019年2月に、粒子線の照射方向と平行に磁場をかけるとがん細胞の殺傷効果が高まることを発表しました。

まだ細胞実験の段階ですが、粒子線を照射する際に、粒子線の進行方向と平行な方向に外部磁場を印加すると、その粒子線の細胞殺傷効果が有意に増強されることがわかってきました。つまりは、陽子線やヘリウム線でも磁場をかければ炭素線並みの殺細胞効果でがんを治療できる可能性があるということです。

炭素線などの重粒子線を用いた治療を行うには大型の加速器が必要で、どうしても広い施設が必要でした。もし陽子線治療などの小規模な施設でも、磁場さえ作れば重粒子線治療施設同等の治療ができるということになれば、粒子線治療全体へのメリットは大きいと思います。

現在、細胞実験から1つステップを進めて、動物実験で効果を確かめる研究を開始しています。また、患者さんの治療に安心して使うためには科学的な機序の解明も求められます。私たちはQST内の生物学、化学の専門家とチームを組んで取り組んでいますが、ある現象の機序解明というのは簡単なことではありません。10の仮説があってもほとんどがはずれで、可能性のある1つの仮説を追い込んで実験で確認していく。それが否定されるとまたやり直し…。未知の現象なので研究としては面白いのですが、非常に時間と労力がかかる仕事です。今後、他の研究機関の協力も得ながら研究を進めていく予定です。

研究をする上で大切にしていることは何でしょう。

患者さんの治療に実用化されたときの姿を頭に描きつつ、研究に取り組むようにしています。例えばさまざまな論文を読むときにも、私たちの研究にどう関わるか、実際の治療とどうつながるかを意識しながら注意深く読んでいます。そういった日頃の姿勢の延長上にこそ、新しいアイデアが生まれるのだろうと思っています。

インタビュイー

*所属・役職はインタビュー当時(2020年2月25日)のもの

(取材・構成:中保裕子/撮影:小林正/制作協力:日本リサーチセンター)