量子科学技術で作る未来 第38回
正常組織がん化リスク検証 重粒子線治療後の発生少なく
これまでの連載で、量子科学技術研究開発機構(QST)が進める炭素イオンを用いた重粒子線がん治療の有用性を紹介してきたが、重粒子線も含めすべての放射線には正常な細胞をがん化する側面がある。放射線治療は、病巣に放射線を集中砲火して細胞を死滅させるが、正常組織に多少の流れ弾が当たってしまい、正常細胞のがん化リスクを増やすことになる。
体の奥にあるがん病巣に放射線を照射する場合、X線は体表側の正常組織で線量が大きく、がん病巣に近づくほど減る。一方、炭素イオン線は、がん病巣で放射線の量と強さ(がんの殺傷力)が最大となり、手前の正常組織への影響は相対的に小さいという優れた特徴をもつ。とはいえ、炭素イオン線がX線以上にがん化を起こす可能性もあり、これが流れ弾の少なさで相殺されているか不明であった。
そこでQSTでは、正常組織をがん化する効果について、X線と炭素イオン線の比較を、マウスなどを用いた実験により調べた。その結果、乳腺、軟部組織、腎臓などいくつかの組織で炭素イオン線のがん化効果はX線の1~3倍となったが、炭素イオン線は流れ弾が1/3未満と少ないことから、人においても炭素イオン線による治療は、X線による治療と比べ、正常組織のがん化が同等か少ないと予想された。
また、重粒子線治療を含め、放射線治療では少量の中性子線が発生する。中性子線のがん化効果は大きいが、発生量が少ないので通常は問題にならない。しかしながら、子どもに治療を適用した場合のがん化効果については不明な点もあった。
そこで、様々な年齢の動物に中性子線を照射する実験を行った。結果は、最も感受性が高い年齢でもがん化効果は問題にならない範囲であり、それ以外の年齢ではむしろ低いことがわかった。
こうした動物での研究を踏まえ、QST病院では前立腺がんの重粒子線治療を行った患者さんの追跡調査を実施した。この結果と他施設でX線による放射線治療を行った患者さんの結果を比較したところ、重粒子線治療のほうが治療後のがん発生が少ないことがわかった。
現代のがん治療では、効果だけでなく、より安全・安心な治療を提供することも重要であり、QSTは治療法の開発と並行して安全性の検証を進めていく。
炭素イオン線の正常組織への線量とがん化効果
執筆者
量子科学技術研究開発機構 放射線医学研究所
放射線影響研究部 グループリーダー
今岡 達彦(いまおか・たつひこ)
東京大学出身。放射線被ばくの生体への影響を研究している。国際放射線防護委員会タスクグループ111連絡委員、日本放射線影響学会理事、東京都立大学客員教授を務める。博士(理学)
本記事は、日刊工業新聞 2022年3月24日号に掲載されました。
■日刊工業新聞 量子科学技術でつくる未来(38)正常組織がん化リスク検証(2022年3月24日 科学技術・大学)